ことば

2020年7月 4日 (土)

『大阪弁おもしろ草子』「けったくそ悪い」を読んで その1

大阪弁を光輝あらしめているのは、さきにのべた淫風とともに生々たる猥雑さであろう。(p.57)

 

これも一理あるし、それだけではないというのもあるし。

毒舌というのはちょっと違う。笑いがあるからというのも逃げである。

 

ボロカスに言ってるのが生き生きしている。

ただ、そういう人ばかりではないのも事実である。

 

私の所見として、大阪の人間の8割は面白くない人というのがある。

クラスにそんなに面白い人がいなかったということから考えても、フェルミ推定的にそんなに間違ってないと思う。

 

みんながみんな、お楽しみ会で漫才やコントをやっていたわけではない。

私は漫才の難しさに、これは無理やと思ってコントしかやらなかったし。

 

いとしこいしを見て笑っていて、上岡龍太郎を見てあんなふうに喋れればなあと思っていて。

でも、真似をしたところで私やないし。

 

パロディでコントするんやったら、あこがれてないものにしよう。

そうなると、欽ちゃんかひょうきん族になっていた。

 

ドリフは好みというよりは、作り込みすぎてるから、教室でやるのは難しいと思った。

そんなに真剣に練習してもなあというのもあったし。

 

漫才で子供の世間話が面白いと思わなかったし。

少年漫才は少年漫才で終わってしまう。

 

だからといって、淫風や猥雑さを入れたら子どもの漫才ではなくなる。

子供らしさは鮮度が落ちるのが早いし。

 

もちろん漫才ブームも見てるし、やすきよで笑ってたし、ダウンタウンを見た時には度肝を抜かれた。

でも、その路線にはあこがれず。無理やと思ったんで。

 

私にとっては、1970年代後半から80年代前半、関目小学校の頃の笑いがどうしても基盤になっている。

ことばは小学生のころにほぼ固まるが、私にとっての笑い感もそうであった。

 

 

 

 

 

「ボロカス」のアクセントは、HHHH。

 

「いとしこいし」は、HHHHLL。

「上岡龍太郎」は、HHHH HHHHH。

「やすきよ」は、LLLH。

 

 

 

その2につづく。

 

 

Owarai_conte_konto

2020年6月19日 (金)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その17

気づいたら、その17までいってた。

こまごまと分けて書いてたら、こんな感じに。

 

さて続きはと思って本を開いたら、あとは表現だけで済みそう。

これならすぐに書けそうなので、手を付けておく。

 

「のん」(疑問、質問)、「へん」(否定、打消)は女性語尾とある(p.55)が、そうでもない。

女は「行かへんのん」、男は「行かへんのんか」となっているが、私にはその性差は感じない。

私が女性化したとは思えない。「行かへんのん」は普通に使える。

「か」で強くぶつける感じが、女には言いにくいということなのだろうか。

 

なお、「へん」は、前の動詞語幹末がイ段で終わる時は、同化して「ひん」になる。

「見ィひんのん」となるのが普通で、私には「見いへん」はかなり変に感じる。

 

罵詈讒謗の表現については、これまで何度か出てきた。

「さらす」「けつかる」「こます」の命令形の例文が載っている。

 

「よう見さらせ」「おぼえてけつかれ」「やってこませ」「いうてこましたった」(p.55)

私にとっては、どれも使わない表現である。

 

 

「行かへんのん」のアクセントは、HLLLLL。

「行かへんのんか」は、HLLLLLH。

 

「見ィひんのん」は、HLLLLL。

 

「よう見さらせ」は、HL HHHL。

「おぼえてけつかれ」は、HHHHHHLL。

「やってこませ」は、HHHHHL。

「いうてこましたった」は、HHHHHHHLL。

 

 

この章終わり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年6月 1日 (月)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その16

「だッ」(p.54)の表記がこれまた絶妙なのである。

一読目の時には伝わってこなかったが、内省を繰り返しているうちに少しわかってきた。

 

私は「~だす」は理解語彙ではあるが、使用語彙ではない。

なんぼなんでも古すぎるというのが偽らざる感情。1980年代に、日常的に耳にした記憶が限りなくない。

 

「千円だ」と「千円だッ」の違いは、前者は「千円や」、後者は「千円出す」。

それが音声上でも違っているので、こういった表記になっているのである。

 

「だす」の「す」は脱落しているけれども、そこに何かあることを伝えたいので若干力が入る。

その分が促音として聞こえているということ。

 

これは、「おます」の「おま」でも、よく観察すれば同様のことが言える。

とはいえ、「つるこうでおまっ」以外に、ほとんど私は耳にしないけれども。

 

「だ」の表記も示されている。分からなくもない。

文法的には規範的な感じがするが、スの下付けが表記法として規範的ではないという矛盾を抱える。

 

 

 

 

「千円だ」のアクセントは、LHLLL。

「千円や」は、LHLLL。

 

「千円だす」は、LHLLLH。(末尾は強調上昇調)

「千円だッ」は、LHLLHH。(末尾は強調上昇調)

 

 

その17につづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年5月 6日 (水)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その15

「だッ」「だす」「だっせ」「だっか」「でっせ」「でっか」(p.53)は、田辺氏の周りの男性ではまだ健在のようである。

1984(昭和59)年ごろの感覚である。

 

私は当時は中学生。

この語形は、私の世代ではすべて使われていないと言える。

 

前者4つは、古めかしさしか感じない。後者2つは、さんまさんぐらいしか使ってない。

そんな感じであった。

 

吉本がDESSE JENNY(デッセジェニー)を作ったのは1987年。

さんまさんが、銭でっせを引っくり返して命名したと。

 

ときめきタイムリーで、ダウンタウンがさんまのような大阪弁を東京で使うのはどうかと相談していた。

ということで、ダウンタウンの世代(1963年生まれ)でもこれらの語形は、使用語彙ではないと言える。

 

「ほんまでっかTV」の「でっか」も、ネタとしか思えない。

さんまさんは1955年生まれだが、この世代は実際に使っていたのかが分かれる世代では。

 

1984年に1955年生まれは、29歳。

翌年、今年で30、知っとるケのケを歌うことになる。

 

田辺さんは1928年生まれ。1984年は56歳。

10歳下が使っていたら健在という感覚で、それより下だと若い人でもと書くような気がする。

 

 

 

「デッセジェニー」のアクセントは、LLLHLL。

「銭でっせ」は、LLHLL。

 

「ほんまでっか」は、LLLLLH。

 

 

 

その16につづく。

 

 

付記

ときめきタイムリーの話は、「上方芸能の都々逸について」で少し触れた話。

執筆した後、刊行前にタイヘイ夢路さんがお亡くなりになったのを契機に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年4月10日 (金)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その14

「あんたのこと、聞いたしィ」

「何聞いたン。誰に聞いたン」

「○○サンに聞いたしィ。この秋に結婚する、いうてはったしィ。ほんまか。言いよし」(p.53)

 

「~よし」は女性語であるが、日常生活でほぼ耳にした記憶はない。

ドラマか映画か、何らかのフィクションで喋っているのをというのがかすかな記憶である。

 

ただ、作品名を思い出せない。

そういう記憶力は、途端に低くなるのというのが、私の脳である。

 

娯楽ものなら思い出せることはあるのだが、文芸作品となるとまるでダメ。

小説を読んでも筋が頭に入らないは、今は老化によって拍車がかかっている。

 

だから、民話などを記述調査するのは向かないだろうと思っている。

シナプスの大量死が終わってからは、文学作品に対する記憶はほぼ残らないようになった。

 

シナプスの大量死って子どものころやから、老化は関係ないやんけ。

そんな分かりにくいボケをするな、というのは無視して話を進める。

 

気になるのは、「しィ」。これが、田辺さんの世代から見て若い人では廃れているとのこと。

京都にはあるが大阪では使わないと。連載時1984~85年ごろの感覚である。

 

「しィ」はそんなに廃れていたんかなあと思いつつ、これは自身がない。

まず、女性語なので、自身で内省はできないので。

 

当時の女の子の口調はさすがに思い出せない。

香ちゃん、そんな言い方してへんかったよなあとは思いつつ、してたんかもしらん。

 

だから、イントネーションが浮かんでこない。

この音調が分かれば、脳への刺激が賦活して、記憶が甦るかもしれないのだが。

 

 

「~しィ」「~よし」のイントネーションは自信がない。

「~しィ」は高平でいいんだろうか。

「言いよし」は、HHLLで行けそうな気がするけど。

 

それ以外のアクセントは示しておく。

「あんたのこと、聞いた」は、LLLL HL HLL。

 

「何聞いたン」は、LL HLLL。

「誰に聞いたン」は、HHH HLLL。

 

○○には仮に山田を入れておく。

「山田サンに聞いた」は、LLLLLL HLL。

「この秋に結婚する」は、LL LHL HHHHHH。

「いうてはった」は、HHHHLL。

「ほんまか」は、LLLR。 LLHLというとさんまさんの感じになって、私の母方言ではなくなる。

 

 

その15につづく。

2020年3月15日 (日)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その13

小説で書くといえば、「か」も困ったものである。

上方の女の子が、「そうか」というときの「か」の軽さ、やわらかさ、これは文字では出ない。「そうか」と書いたのでは男言葉である。(p.51)

 

この感覚は、優れた田辺氏の作家としての感性に基づくものであり、極めて重要な内省である。

そして、この感覚は私は持ち合わせていない。

 

というのも、そういった柔らかい「か」を使う女性が、今現在周りにいないので、観察しようがないのである。

昔を思い出しようにも、女性語というのは全く内省はきかないので。おそらく軽微な曲線上昇調なのだが。

 

実際のデータがあれば。かといって、この時期に調査に出かけるわけにもいかず。

また、ただ大阪の女性というだけでは条件不足で、ある程度しゃべってみて、観察しないとどうしようもない。

 

ということで、「せえへんか」「ほんまに知らんのんか」の「か」については、いずれ補遺として改めて書きたい。

文脈が分かる音声データを入手でき次第ということで。

 

「か」から「かい」になると、これは劃然と男性語(p.51)という指摘は、素直には首肯できない。

確かに、どちらに重きを置くかなら男だが、劃然というほど明確ではないように感じている。

ただ、「誰が行くかい」という反語表現を発する女性がいても違和感はない。

そういうやつなんだと思うだけのことなので。

 

「かいな」は男女共用(p.51)は、素直に首肯できる。

ただ、私は使うけど、だいぶ古くささを感じるので、引越しのサカイの「ほんまかいな、そうかいな」も今の若者は言わないのでは。

 

「そこにあるやないかいな」「そこにあるやんかいな」がごく普通に使われている(p.52)のは、私は理解はできる。

ただ、さすがにもう使っていない。若い世代にとっては、かなり古くさい言い回しのような気がする。

 

さて、この系列として「がな」が触れられている(p.52)が、かなり性質が異なる。

「これやがな」は断定の度合いが強く、田辺氏の指摘通り、飄逸味はなく野暮ったい。

 

そして、これも若い世代に敬遠されそう。

私は頻度は少ないものの使っているが。

 

 

「せえへんか」のアクセントは、HLLL+R。

「ほんまに知らんのんか」は、LLLL HLLLL+R。

 

「誰が行くかい」は、HHH HHHL。

 

「そこにあるやないかいな」は、LHL LHLLLMLL。

「そこにあるやんかいな」は、LHL LHLLHLL。

 

「これやがな」は、HHLLL。

 

 

その14につづく。

 

 

 

 

2020年2月29日 (土)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その12

撥音について、「てん」と「てン(ンは小文字で)」の使い分けに言及されている。(p.50)

口吻を伝えるには、この違いは必要だという主張である。

 

作家ならではの表記である。

科学者だと機能面を優先してしまうので、そういった発想になりにくい。

 

カタカナや小文字によって、軽めのニュアンスを伝えようとしている。

感情的機能を表現するには向いている。

 

規範的にはならず、個別的な判断になるだろうが、創作者は試みたらと思う。

 

 

その13につづく。

 

 

 

 

 

 

2020年2月21日 (金)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その11

私の個人的嗜好で申せば、大阪弁を紙上に定着させるときは、字面の感じへの配慮があらまほしい。

耳で聞いた通りに表記すると汚い。<大阪弁 字でよむときは目が疲れ>という川柳があるが、それは書くほうの配慮が足らぬのである。(p.50)

 

作家が言うからこそ説得力がある。

大抵の方言は文字化すると違和感があるものだが、それは共通語で見たことがない語形というだけの問題ではない。

 

アイウエオといった母音が、共通語と一致しない時はなおさら違和感がある。

サ行をシャ行でしか言えなくても、それはシャシュショで示せばいいだけだが、エだけどイとなると厄介。

 

東京弁でも、かつては「灰」「蝿」はともに「ハイ」であった。

文字通りに話さないというのは、どの言語にも通じる普遍的真実である。

 

文字表記は規範的に学んでいくので、異論を許さない面が大きい。

また、言語史を知るための連続性を捉えるために、現代に合わせきった大きな改変もできない。

 

とはいえ、大阪弁なら規範がない以上、模索してみるのは重要である。

どれが母方言話者にしっくりするのかは、ああだこうだ言い合うのが、それこそあらまほしい。

 

ここから私見だが、長音についてはひらがなでも、カタカナでも、「ー」の棒引きでかまわないと思っている。

今はやりの「あぁ」の小文字タイプは、末尾が弱まる時には有効だと思える。

 

落胆やつぶやきなどの時は「あぁ」でいい。叫びや通常の時は「あー」でいい。

やぼったい言い方なら「~でー」、軽めの時なら「~でぇ」がいい。

 

基本的に「お母さん」は「おかーさん」、「お父さん」は「おとーさん」でいいと思っている。

ここで書いたところで規範を変えるまでの影響力はないが、少なくともオ段長音の「う」か「お」かのめんどくささからは逃れられる。

 

また、「おとうさん」の「う」が規範臭い。

だから、方言表記の場合、一貫して長音を「ー」としておく方が、悩みなく読める。

 

できるだけ字面通りにその方言を伝えるためには、そのほうがいいと思っている。

 

 

 

 

その12につづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年12月 6日 (金)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その9

「で」というと、カネやんの「やったるでェ」のように、なりふりかなわぬ決意を示し、峻烈なひびきを帯びる。(p.48)

 

たぶん、ここに来てる読者は、カネやんを知らない世代が多いと思うんだが、念のため。

プロ野球400勝投手の金田正一。今年お亡くなりになった。きつい物言いなんで、峻烈という表現が似合う。

 

「それは違うデ」のデと、「お母ァはんにいうといたで」のデはちがう。

「よ」の代りに使う「で」と、断固たる見解を示す押し強い「で」とのちがい。(p.49)

 

これは音調によって、どっちにでも言える。

だから、書きことばの形式だけではうまく伝わらない。

 

断固たる見解であるかどうかは抜きにして、カネやんなら常に峻烈である。

話しことばに人柄が関わっていることは言うまでもない。

 

「で」から「でんわ」「でっせ」(p.49)とあるが、「でっせ」は古くさくて使わない。

「でんわ」に関しては、あまり耳にした記憶がないので、とっさに内省できない。

 

「あれ、悪いけどあかなんでんわ」(p.49)の例があるが、昔の小説を読んでたら出てくるんだろうか。

祖父は大正生まれだったが、「でんわ」はなかった。「でしたわ」と捉えればいいんだろうか。

 

「でっせ」は、80年代後半の吉本のディスコDesse Jennyを思い出す。

さんまさんが、「銭でっせ」を引っくり返して、ネタでつけた命名。

 

バースを「風呂」、クロマティを「黒間茶」、自身の事務所を「オフィス事務所」といったのが当時のさんまさんの流行り。

こういう茶化し方は嫌いではない。

 

 

 

「やったるでェ」のアクセントは、HHHHLL。

 

「それは違うデ」は、HHH HHHL。

「お母ァはんにいうといたで」は、LHLLLL HHHLLL。

 

「あれ、悪いけどあかなんでんわ」は、HH HLLLL HLLLLLL。

 

「デッセジェニー」は、LLLHLL。

「銭でっせ」は、LHLLL。

 

その10につづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年11月14日 (木)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その8

「いくねん」「するねん」「ウチ、まだ知らんねん」「結婚したいねん」(p.48)

「ねん」は意思表明であり、強調であり、確認であり。だから、「なんでやねん」というツッコミが成立する。

 

相手からの返答やあいづちは必ずしも求めていない。

男女共用であることはもちろん、これは今でもさすがに死んでないだろう。

 

「ね」が軽く消失してしまう憾みがある(p.48)というのが、ピンとこなかった。

ンが弱まった言い方の場合ということなんだろうが、「嫌やねン」の時だろうか。

 

これは、世代差ではなく、私が理解できないだけなのかもしれない。

女の言い方でのかわいらしさなら、すっと理解できるんだが。

 

「ねん」の後ろにさらに続いて、「ねんわ」「ねんな」「ねんで」「ねゃ」(p.48)と展開する。

「ねんな」「ねんで」はともに念押しが強く加わる。「ねんで」の方が相手への圧は強い。

 

「ねんわ」は内省してみたんだが、どうもしっくりこない。

「すんねん」「するわ」はともに問題ないが、「すんねんわ」となると、理解レベルでもハテナが飛び交う。

 

ググってみたら、谷崎潤一郎の『卍』で「神経でそんな気イするねんわ 」というのがあったが、彼はネイティブではない。

また、見た目は1150件ヒットだったが、精査すると延べでも50件強。「すんねんわ」でも同程度の値。

 

使う人に違和感がない人はいるんだろうけど、私のように違和感がある人の方が多いと推測した。

「ねん」の意思表明が強めなのに、そこに「わ」という弱めの主張、あるいは詠嘆というのがあわないからかもしれない。

 

「ねんな」「ねんで」「ねゃ」は強いもん同士がくっついたから、さらに強く主張となるから違和感がない。

「ねんわ」については、少し調べる価値がある。

 

「ねゃ」という表記はいい。田辺さんの感性による、時折小文字が入った大阪方言表記は、結構的を射ている。

ただ、私は「すんねゃ」より「すんねや」と「や」が強い。「ねゃ」は古くさいとは言わないが、私は言わないなと。

 

なお、吉本新喜劇のたつじいこと井上竜夫の「おじゃましまんにゃわ」は、やはり「にゃわ」である。

 

 

「いくねん」のアクセントは、HHLL。

「行く」は、HH。

 

「するねん」「すんねん」は、HHLL。

「する」は、HH。

 

「ウチ」は、HL。

「まだ」は、LH

「知らんねん」は、HHHLL。

「まだ知らんねん」は、LL HHHLL。

「知る」は、HH。

 

「結婚したいねん」は、HHHHHLLLL。

「結婚」は、HHHH。

「結婚する」は、HHHHHH。

「結婚したい」は、HHHHHLL。

 

「嫌やねン」は、HHLLL。

「嫌」は、HH。

「嫌や」は、HHL。

 

「すんねゃ」は、HHL。

「すんねや」は、HHLL。

 

「おじゃましまんにゃわ」は、LLL LLL LH。

 

 

その9につづく。

 

 

 

 

 

追記

青空文庫でヒットした「ねんわ」は、以下の4件。

 

袋帯を 止 ( や ) めにせなあかん、袋帯云うもんがあかんねんわ 谷崎潤一郎 細雪
きょうは早う帰らんといかんねんわ 谷崎潤一郎 卍
神経でそんな気イするねんわ 谷崎潤一郎 卍

あなたや咲子さんにご迷惑をかけると思って、つつしんでおりましたねんわ 久生十蘭 猪鹿蝶

 

 

 

 

 

 

より以前の記事一覧

フォト
無料ブログはココログ

人気ブログランキング

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31