ことば

2019年8月 4日 (日)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その2

かつて大阪弁が嫌われ、大阪でもそこから抜け出そうとしていた人たちがいた。

大阪偏重主義があれば、大阪脱却主義があってもおかしくない。

 

祖父母や父などはそんなことに関係なく「そうでっか」「知りまへん」などとやっていたが、私の母は岡山から大阪へ嫁に来た者で、かつ小学校の先生の経験もあったから、若いインテリ(と自負している)心に、標準語を上等のように思ったのであろう、子供の私が、「そうやしィ」「あかんしィ」などというと、下品な言葉を使う、と叱られた。(pp.40-41)

 

小学校の先生が規範的なのは仕方がない。

いわゆる正しい日本語を教えなければならないので、過剰な意識を持っている。

 

ただ、岡山という地域性を考えると、まったくもって方言むき出しの地域である。

私は望ましい姿だと思っている。そして、下品と言われる筋合いはない。

 

岡山を叩いているわけではない。岡山には4年住んだので。

地元民が岡山弁を汚いということがあったが、ことばにきれいも汚いもない。

 

そこにあるのは、人間の美醜だけである。

もちろん顔の話ではない。

 

父の若い弟妹、私の叔父叔母たちも精いっぱい、東京風のコトバを使おうと気取っていたが、どうやっても追っ払えないのが語尾変化であった。もちろんアクセントやイントネーションはよけい変えにくいが、大阪弁の語尾を東京風にするというのは、むつかしい以上に、首をくくりたくなるような恥ずかしさがある。お芝居のセリフをしゃべらされているようになり、言葉の生命力が失われてしまう。(p.41)

 

首をくくりたくなるような恥ずかしさというのは、秀逸なたとえだと思う。

言葉の生命力という表現よりも、腹の底から嫌いなんじゃという思いが伝わってくる。

 

虫唾が走るほど、嫌っていない。むずがゆくなるほど、生理的に受け付けないわけでもない。

ただただ、そんな気取ったコトバを使うのはこっぱずかしいという、正直な感想であると推察する。

 

京阪アクセント圏出身者が、俳優やアイドルになった時には、共通語に矯正され、二方言話者となる。

大阪弁むき出しのままでは、映画でもドラマでも使いにくいからであろう。

 

また、東京に出れば、周りのほとんどが共通語でしゃべっているので、耳から学ぶことができる。

大阪でテレビやラジオで聞くだけでは、なかなかうまくいくものではない。

 

私みたいにほぼ合わせる気がないものにとっては、話し言葉としての共通語は無用の産物である。

もちろん、使用語彙としての話で、理解語彙としては共通語は役に立つ。

 

だから、理解はしても使う気はない。

それでも、東京ではよそいきの大阪弁をしゃべっているので、そこそこあわせようとはしている。

 

祖父がついに、「じゃらじゃらした快っ態(けったい)なコトバ使うもんやない!」と一喝してわが家の言語近代化運動、方言矯正運動は立ち消えになってしまった。(p.41)[注]

 

私は寺内貫太郎一家は嫌いだったが、こういう内容なら祖父の一喝は、むしろ望ましい。

これがハラスメントになるようでは、あまりに世の中世知辛い。

 

 

「そうでっか」のアクセントは、HHHHH。

「知りまへん」は、HHHHH。

 

「そうやしィ」は、HLL+R。

「あかんしィ」は、HHH+R。

 

「じゃらじゃらした」は、HLLLLL(~HLLL+HL)

「けったいな」は、HHLLL。

「コトバ」は、HLL。

「使う」は、HHH。

「使うもんやない」は、HHHHLL LH。

 

 

 

その3につづく

 

 

 

 

 

[注]

「けったい」は、規範的な日本語だと「卦体(けたい)」の促音化として、この漢字が当てられる。

語源の真偽はさておき、それはそれで。

 

ただ、田辺さんの意図としては、「快っ態」の方が実態に近いと捉えている。

私も素直に首肯できる。まあ、公文書で「けったいな」は使われることはないので、むしろ「快っ態」を広めたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年7月28日 (日)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その1

そやないかいな ―語尾と助詞 pp.40-56

 

明治政府が唱導強制した標準語・共通語はいち早く上方にも広まって、私などが小学生のころ(昭和10年代はじめ)は、もう大阪弁を使うのは品がわるく無学なあかしのように思う気風が、大阪の若いインテリの間にあったように思う。(p.40)

 

戦前・戦中かけての昭和10年代以前に生まれた東京人は、かなり大阪弁が嫌いだったように思える。

東京に住み始めて、赤ちょうちんでその年代からは大阪弁は嫌いだとよく言われた。

 

なじみになれば、お前はいいけどとなる。

自身と違うものへの生理的に合わない感か、食わず嫌いなのか。

 

同年代の関東出身者に話すと、この話は理解できない人が多い。

昭和40年代以降は、漫才ブームのおかげというかなんというか、大阪弁への抵抗が薄れていたからである。

 

そして、20~30代の頃から、自身の家族や親族以外の老年層と話す機会は少ない。

当時定年に近い上司ともその手の雑談まではあまりしないだろう。

 

団塊の世代は、徹底的に嫌いというのが減ってきていたと思われる。

それでも、必ずしも好かれているわけではない。

 

今でも全面的に好意的に受け入れられているとは思わない。

だいぶ前に、私より若干下の世代が、そば屋で大阪弁の悪口を死ぬほど行っていたので。

 

近所のそば屋だとさすがにそういうことはないが、オフィス街だったので立派な会社員なんだろう。

まあ、好みの発言は、私的空間では好きにやってくれればいいので。

 

そして、そういう店に大阪出身者がいるとも予測していなかったのだろう。

大阪人はそば食わずに、うどん食っとけというステレオタイプが、まだ生きているのか。

 

黙って聞いていても良かったのだが、注文前だったので、店員さんを呼ばざるを得ない。

「すんませーーん」 すぐに黙ったのは言うまでもない。

 

 

 

「すんません」のアクセントは、LLLLH。

「すんませーん」は、LLLHHH。語末の長音での語尾上がりは、音節単位で高になる。

 

 

 

その2につづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年7月 1日 (月)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その9

前回、「ちちくる」は「乳繰る」と書いたが、どうやら違うらしい。

このあたりは、昔の方言を知らないと分からない。

 

上方には「ててくる」(p.36)があったようだが、田辺さんも知らない昔の言葉のようだ。

1928(昭和3)年生まれで知らないとなると、大正以前の近代の方言と推測できる。

 

歌舞伎『伊勢平氏栄花暦』には、「ちょよけ、まちょけ」(p.37)が出てくるようだ。

初演は1778(天明2)年なので、近世の方言ということになる。

 

ここから、「ちぇちぇくる」「ちゃちゃくる」(p.37)という言い方が、派生している。

ということで、「ちぇちぇくる>ててくる>ちちくる」という流れができあがる。

 

さて、この「ちぇちぇ」は、牧村説では雀の鳴き声の擬声語であるようだ。

「すずめ」の「すず」も雀の鳴き声と推測できるが、このつながりは今はおいておく。

 

<語源は雀などのさえずる声を模した擬声語「チェチェ」「チョチョ」「チャチャ」などを、男女が密会して私語するのをののしっていうに用い、それが転じて、密通する意味になったという>(p.38)

 

となると、「チョネチョネする」が派生語であるという田辺さんの推測は、まんざら間違っているとは思わない。

そう考えた時に、先に示した一列の変化は違うのではないかと考え始めた。

 

「ちぇちぇくる>ちちくる」という江戸での変化、「ちぇちぇくる>ててくる」という上方での変化がある。

それから、共通語化した「ちちくる」が普及。

 

それとは別に「ちぇちぇ>ちょねちょね>ちょめちょめ」という隠語の派生があったと推定する。

山城新伍の「ちょめちょめ」は、「まことちゃん」からの流れをくんでいないことは明らかである。

 

→ 『大阪弁ちゃらんぽらん』「チョネチョネ」を読んで その2

 

よって、「ちちくる」の「乳」が当て字であることが分かる。

さらに言えば、後発で雀から猫に変わった「ニャンニャンする」(p.37)という言葉が生まれたんだろう。

 

山城新伍の『アイ・アイゲーム』を見ていた世代は、ちょめちょめまでの変化を理解することができた。

そして、『夕焼けニャンニャン』を見ていたおニャン子世代には、この歴史はありがたい。

 

 

「乳」のアクセントは、LH。

 

「ちょよけ、まちょけ」は、LLH LLH。

「ちぇちぇくる」「ちゃちゃくる」「ててくる」「ちちくる」は、いずれもLLLH。

 

「ちょねちょね」「ちょめちょめ」は、HLLL。

 

「ニャンニャンする」は、HLLLLL。

 

 

 

この章終わり。

 

 

2019年6月22日 (土)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その8

本題の「ちちくる(p.35)」が、ようやく登場。「乳繰る」という漢字になるようだ。

さすがにこれは直感的に分かる。どういう動作かも。

 

私にとっては、使用語彙ではない。

理解語彙としても、普通の会話で聞いたことはない。

 

これをはじめて聞いたのは、吉田ヒロのギャグとして。

「ちちくりマンボ、ちちくりマンボ、ちちくりマンボでクーッ、パッパパラ、パッパッパラッパ、パッパッパラッパパ、キューッ」

 

まあ、よう分からんけどおもろいというタイプのギャグ。

まあ、全部が全部おもろいというわけではなかったが。

 

そもそも、ボブキャッツって、よう分からんネタの運びやったなあと。

雄大もわけわからんかった。あのネタで長続きするコンビとは、思えなかった。

 

案の定、長続きしなかった。

NSC2期生って、波乱万丈多いなあとしみじみ。

 

脱線が過ぎたので、本題に戻そう。

上方では「ててくる(p.36)」という語形があったようだ。

 

「ててくる」は、田辺さんは知らないようなので、「ちちくる」より古い語形か。

そして、『大阪弁ちゃらんぽらん』にも出てきた「チョネチョネする(p.36)」。

 

田辺さんにとっては、「ちちくる」より新しい言い方としている。

私にとっては、山城新伍の「チョメチョメ」の方が記憶に残っている。

 

→ 『大阪弁ちゃらんぽらん』「チョネチョネ」を読んで その1

→ 「元とちょめちょめと新伍」

 

これらの「ちちくる」「ててくる」「チョネチョネする」がつながっているとは。

ここでようやく気付く。音韻対応あるんやろうなと。

 

この話は次回にまわし、音韻対応とは関係ない淫靡な表現の「ちんちんかもかも(p.36)」にふれておく。

歌舞伎や人情本に出てくる古くからの言い回しであるようだ。

 

私の世代でも、すでにおっさんしか使わんなあと思っていた表現。

そして、国語辞典で調べることもなく、知らないまま今に至っている表現。

 

「ちんちん鴨の入れ首出し首」から、「鴨が首を出し入れするように、男女が一つの蒲団から首を出し入れするさまをいう」とのこと。

なんやろ、うまく想像できない。

 

私は「ちんちん」と「come on」の和洋混淆語だと思っていた。

そうなってしまうと直球過ぎるのだが。

 

そして、浄瑠璃「神霊矢口渡」には「人まぜずのちんちんこってり」。

こういうのを知ってしまうと、こってりラーメンが食べにくくなってしまう。

 

 

 

「ちちくる」のアクセントは、LLLH。

「ててくる」も、LLLH。

 

「チョネチョネする」は、HLLLLL。

 

「ちんちんかもかも」は、HHHH HLLL。

「ちんちんこってり」は、LLHL LLHL。

 

 

その9につづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年6月 9日 (日)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その7

肩車のことを「ちちくま」と呼んでいた(p.34)時代があるようだ。

乳なのか父なのか。たぶん、乳で乳車、ちちくるま>ちちくまだろう。

 

連濁というのは、まあまあ新しいものである。

近代は、辞書の見出し語が清音が主で連濁は清音の見出し語に飛ぶという指示が結構あったので。

 

肩ではなく、乳。田辺さんが淫風の感をまぬかれない(p.34)というのも分からなくはない。

膝枕を腿枕とするより、もっと生々しい。

 

『日本言語地図』では、かたくまであった。

1966~1974刊行で、被調査者は主に明治生まれ。

 

1960年ごろに60歳以上となっている人々が対象。

和歌山にはくびうま、兵庫北部ではくびぐるまなどがあるが、この地図には乳はなかった。

 

それ以外の近畿は、ほぼ全域でかたくま。

となると、ちちくまはもっと古い語形のはずである。

 

田辺さんが、1928(昭和3)年生まれ。

当時の被調査者は、30歳ぐらい上の人たち。

 

その人たちが、かたうまであったのだから、ちちうまはもっと古いという推定はあっているだろう。

明治の早い生まれの人たちが言っていたのかもしれない。

 

牧村史陽氏は「子どもを肩車にのせると、その両足が丁度乗せている者の乳のところに当る。乳車の名の起こったゆえんであろう(p.34)」と記しているが、この語源説は容易に想像できる。

 

牧村さんは1898(明治31)年生まれ。『日本言語地図』の被調査者と同世代。

だから、聞いた方言形はこの世代より上の人たちと、想像できるのである。

 

 

 

「ちちくま」のアクセントは、LLLH。

「ちちぐるま」は、LLHLL。

 

「かたくま」は、LLLH。

「かたぐるま」は、LLHLL。

 

 

 

その7につづく。

 

 

 

 

 

 

 

2019年5月 9日 (木)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その6

「あっ。あたしのつけ睫毛、どこへやったん? それで拭いてしもたんちゃう? ママ」

「どないしてくれるのん! 四千円もしたんよ、まどてんか!」(p.33)

 

「まどう」に弁償するという意味があるのは知らなかった。

ただ、これは惑うではなく、償ふである。

 

古語にあたるので、古文をほとんど読まない私にはなじみがなく、現代語としては知らないのかもしれない。

同時に年長者のいかにもという大阪弁にも長らく接していないので、しょうがない。

 

著者にとっては、「まどてんか」は「いかにも図々しく阿漕にきかれる(p.33)」という語感のようだ。

「ど」の響きが強いかららしい。

 

これは実際の場面で、音声を聞いてみないと分からない感覚である。

私はこれを読んでいて、はんなりした感じの音声を想定していたので。

 

「どないしてくれるのん!」のビックリマークで、強い怒りを感じるべきだったのか。

「弁償してーやー」より、はるかにきつい感じがするんだろうか。ぜひ、聞いてみたい。

 

また、「じゃらじゃら」についても、はじめて知った。

鍵がじゃらじゃらといった、じゃらじゃらではない。

 

「そんなじゃらじゃらした話がおますかいな(p.34)」

ばかばかしい、ふざけたという意味合いである。

 

『仮名手本忠臣蔵』七段目に<互に見合す顔と顔、それからじゃらつきだして身請の相談>とあるらしい。

著者にとっては、淫猥な語感と感じるようである。

 

これをもって、上方弁には男女の交情を暗示させるような口吻のひびきが多いと感じているようで、情緒纏綿の雰囲気を「じゃらじゃら」で片付けているとしている。私は「いちゃつく」の方が、いやらしさを感じるが。

 

淫靡あるいは下衆な方言は、各方言に備えられていると想像できる。

ただ、こういった語彙は方言暖簾に出ることはなく、学者はまともに調査しないので概要が見えない。

 

語彙は死ぬ語もあれば生まれる語もあるので、今は今でそういう表現が新たに出てきては消えを繰り返す。

知らずに生きる人になんとも思わないが、私はまだそういう好奇心は失せない。

 

うわべの上品さよりは、下衆のほうが人間らしいとまではいわないが、やはり興味は尽きない。

「ずっこんばっこん」から「ズッコンバッ婚」に派生した時は、下衆なセンスにある種の感銘を受けた。

 

 

 

 

「まどう」のアクセントは、HHH。

「まどてんか」は、HHHHH。

 

「どこへやったん」は、HHH HHLL。

「拭いてしもたんちゃう」は、HHHHLLL HH。

「どないしてくれるのん」は、HHH HHHHHLL。

「したんよ」は、HLLL。

 

「じゃらじゃら」は、HLLL。

 

「じゃらつく」は、HHHH。

「いちゃつく」は、HHHH。

 

「ズッコンバッコン」は、LLHH LLHH。

「ズッコンバッ婚」は、LLLLHHLL。

 

 

 

その7につづく。

 

 

 

 

 

2019年4月22日 (月)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その5

「てかけ(p.32)」というのは、今さらながらすごい直接的やなと。

「めかけ」の「目をかける」をこえて、「手をかける」からなので。

 

「そばめ(p.32)」は知らない語彙であったが、これはそばに置く女ということだろう。

そばというのが、時代がかっている。側室感が強く、そばに置くというのは、今どきありえない関係であろう。

 

著者は、「てかけ」に対する「厚顔さを憎む(p.32)」に対して、「そばめ」に対する「べつに引っかからない(p.32)」という所感である。

直接的ではないからか、時代小説で慣れてしまっているからか。

 

目をかけてそばに置き、手をかけるが、妥当な順番なのか。

あるいは、目をかけて手をかけたから、そばに置いたのか。

 

女性に対するこういう語彙は、今の時代ではどんどん使えなくなる。

でも、辞典に残さなければ、過去の話は分からなくなる。

 

使用語彙でなくても、理解語彙であればいい。

昔の話を読むためには、こういう語彙も知っておく必要はある。

 

『大阪弁ちゃらんぽらん』の時にも出てきた、妊婦を「ぼてれん(p.33)」というのもそう。

擬態語からのストレートな表現。語形成としては自然なので、言語学的観点からは受け入れざるを得ない。

 

私の子供のころには、「ぼてれん」は使わず、「はらぼて」だった。

昭和50年代では、ごく普通に使っていた。私の中ではいつの間にか使わなくなっていた。

 

今の大阪で使われているかどうかは、20年以上離れているので実態は知らない。

まあ、公の場で使われていないのは昔からそうなので、若者にとってはきっと死語だろう。

 

 

 

「てかけ」のアクセントは、LLH(~HHH)。

「めかけ」は、HHH。

「そばめ」は、LLH。

 

「ぼてれん」は、LLHH。

「はらぼて」は、LLLH。

 

その6につづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年4月 2日 (火)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その4

「げんくそ悪い(p.31)」は、「げんをかつぐ」の「げん」なんだろうが、使わない。

「げんが悪い」「げんがええ」も、私の中では、理解表現ではあるが、使用表現ではない。

 

「げん直し」は、使おうと思えば使えるという程度か。

周りが大阪弁で、ある程度の年齢の人たちであれば、口から出てくるかもしれない。

 

ただ、大人の付き合いで出てくる言葉で、子ども相手にいう言葉じゃない気がする。

また、これは大阪弁に特化している気がしない。大辞林の見出し語にあるし、特に方言と書かれていないし。

 

世界大百科事典だと、漁師用語となっている。

大阪発のことばではないというのがあっている気がしてならない。

 

「げん」は「縁起」の音位反転という説があるが、概ねあっている気がする。

「宿」から「ドヤ」、「はまぐり」から「ぐれはま」で「ぐれる」といったようなものだろう。

 

「縁起もんや」の意味での「げんのもんや(p.31)」も使ってないし、もらってない。

だるまも招き猫もうちにはなく、節句もちゃんと流行ってないし。

 

えべっさんは、大阪を離れてからすっかりご無沙汰やし。

福笹でもうちに置いとこうか。ただ、商売っ気がない私に、商売繁盛は縁がないような気がする。

 

 

「げん」のアクセントは、LH。

「げんくそ悪い」は、LLLH HLL。

「げんをかつぐ」は、LLH HHH。

「げんが悪い」は、LLH HLL。

「げんがええ」は、LLH LH。

「げん直し」は、LLHLL。

「げんのもん」は、LLLHL。

 

「宿」は、LH。「ドヤ」は、LH。

「はまぐり」は、LHLL。「ぐれはま」は、LLLH。「ぐれる」は、LLH。

 

「縁起」は、LLH。「縁起もん」は、LLLLH。

「えべっさん」は、HHHHH。「福笹」は、LLHH。

 

 

その5につづく。

 

2019年3月30日 (土)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その3

全くもって個人的な問題なのですが、ココログの仕様が変わってちょっといらいらしています。

なかなかなじめなかった結果、更新がものすごく遅くなってしまったことをお詫び申し上げます。

 

 

「インケツや(p.30)」という言い方は、じゃりン子チエで覚えた。

オイチョカブで、手札の数の合計が1だと一番弱いので、イチ+ケツからできたのだろう。

 

普段はオイチョカブとは言わず、カブと言ってるが、株式と間違われるとまずいので、あえてそう書いた。

亡くなった祖父に、子どもの頃に教わったので、一応のやり方は知っている。

 

ただ、花札でできる域には達していない。花札の絵札が何月なのかを覚えていなければできないので。

どうもこの手の暗記は全般的に苦手である。だから、基本的には株札、ない時はトランプを使っていた。

 

さて、カブは、2枚あるいは3枚の札の合計の下1桁で勝負が決まる。

よって、0~9までの10通りとなる。

 

この呼び方にも方言はあるのだろう。自身の内省では以下の通りである。

0:ブタ、1:インケツ、2:ニタコ、3:サンタ(コ)、4:シニ、5:ゴケ、6:ロッポ、7:ナキ、8:チョウベエ、9:カブ。

 

あとは、9と1ならクッピン、4と1ならシッピンという役がある。

教わったこと以外特に勉強していないので、その他の役はよく知らない。

 

私の中では、クッピンは親のみ、シッピンは親子ともにという役。よって、親のクッピンが最強。

ブタは最弱ではなく、勝負から降りれる手。これも四六のみというのが多いようだが、私は何でもありでやっていた。

 

だから、インケツが最弱。

そうでなければ、ケツという言い方がおかしくなってしまう。

 

さて、日常会話で「インケツや」を使うかどうかだが、使ったことはない。

使ったとしても、テツのモノマネだろう。

 

麻雀や競馬については、日常用語に用いられているのはそこそこあるが、カブは定着しにくいか。

ギャンブルというより賭博という印象が大きいから避けているような気がする。

 

 

 

「インケツ」のアクセントは、HLLL。

「ニタコ」は、LLH。「サンタ」は、HHH。「サンタコ」なら、LLLH。

「シニ」は、HH。「ゴケ」は、LH。「ロッポ」は、LLH。

「ナキ」は、HH。「チョウベエ」は、HLLL。長音なしの「チョウベ」は使わないが、HLL。

「カブ」は、HH。「ブタ」は、LH。

 

「クッピン」は、HHHH。「シッピン」は、HHHH。

「四六(シロク)のブタ」は、LLLH LH。

 

「オイチョ」も使わないが、HHH。「オイチョカブ」は、HHHLL。

 

「ケツ」は、HL。「イチ(1)」は、HL。

 

「じゃりン子チエ」は、HHHHHL。

「チエちゃん」は、LHLL(~HLLL)。これは映画版でも、声優によってゆれがある。

「テツ」は、LH。

 

 

 

その4につづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年2月18日 (月)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その2

田辺さんにとっては、「ポチ」は耳障りな言葉であるらしい。
私にとっては、全く耳障りではない。

ここでいう「ポチ」は、小さい点のことでも犬の名前でもない。
また、ボタンを押す時の擬音語ポチッとなでもなければ、派生形のポチるでもない。

「ポチ」は、心付や祝儀のことを指す。
よって、お年玉を入れる袋を「ポチ袋」と呼んでいる。

かつては、大阪から東京に進出した百貨店が、新聞広告に「ポチ袋いろいろ」と書いて伝わらなかったようだ(p.30)。
今では十分共通語のように思えるけど、自身で確認したことはない。

正月に会う子供はほとんどいないため、ポチ袋を準備したことがない。
大阪の家に行けば置いてくれているので、いつもそれをもらっている。

もはや、この歳でポチ袋をもらうことはなく、渡す一方である。
チップをもらえるような仕事をしてないし、もらえるとしたら祝儀袋だろうから。

ポチ袋は小さい祝儀袋。「これっぽっち」の「ぽっち」から来ているのではなかろうか。
もともとは「これっぽち」だったのかもしれない。

そういう意味では、この程度しか渡せませんがという美徳を感じる。
だから、ポチ袋の中身が少なくても文句を言ってはいけない。





「ポチ」のアクセントは、HL。
「ポチ袋」は、LLHLL。

「これっぽっち」は、HHHHHL。
「これっぽち」なら、HHHHL。




その3につづく。




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