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2017年1月

2017年1月30日 (月)

『大阪弁ちゃらんぽらん』「ねちこい」を読んで その4

おかしいことばでは、「ねちこち」というのがある。これもネチネチより、もうひとつ粘着した感じのものだ。(p.138)


この語彙も知らないし、聞いたことがない。「ねちこい」は「ねちねち」の「ねち」に「ーこい」がついたものだろうが、「ねちこち」は「ねちこい」から派生したのだろうか。

なぜ「ち」になったのか。「ねちねち」と「ねちこい」の混淆語なんだろうか。
「ゴリラ+クジラ→ゴジラ」のようだが、語末の1モーラだけが混ざったということか。


「ねちこいに似たものに、ネソというのがありますが知ってますか」
と熊八中年はいった。
「知ってます。ムッツリした、口かずの少ない、おとなしい人のことでしょう」
「そうそう、しかも、タダのネズミではないという感じ。おとなしい人、というのは人畜無害でありますが、『ネソ』にはどこか一抹のニュアンス、あやしき影の部分がある。そこがねちこいとねそのちがうところですな。――ねちこいは、法にふれることはしませんが、ネソは、もしや、という臭みもある。たいがい犯罪者があげられると、近辺の人はびっくり仰天して、あんなおとなしい人が、とおどろくのが多い――これつまり、ネソがコソするというのである」(p.138)


長い引用になったが、これはここまで書かないと理解できないので。
コソというのは、人にかくれて淫靡な行為をなすことである(p.139)そうだ。

「ねそ」も「こそ」も、私は聞いたことがない。
その手の話をする大人が周りにたまたまいなかっただけなんだろうか。


ネソがコソをする、というのは、虫も殺さぬ無垢な処女のような娘さんが、いつのまにかぼてれんになったりすることを指す。(p.139)


ぼてれんは妊婦のこと。
擬態語からの派生ではあるが、あまりにストレートすぎる。


「しかしまあ今は、ネソもコソも地を払いました。天下晴れて白日のもと、ねちこく、ネトネト、これみよがしになってはりましたわ。今にして思うと、ネソもコソもかわいいもんでした」(p.139)


どおりで、「ねそ」も「こそ」も知らないはずである。
ついでながら、「ネトネト」は理解できるが、使わない。

昭和の大阪が、時代とともに変化したということか。
猥雑さがある街だが、少しずつ取り除かれているのかもしれない。

きれいになった京橋駅付近を見るたびに、そう思う。



「ねちこち」のアクセントはHLLLで、「ねちねち」と同じ。
「ネトネト」はHLLLより、LLLHの方がすっきりする。
先の2つはLLLHやと違和感あり。

「ねそ」も「こそ」もHL。

「ぼてれん」はLLHH。





この章終わり。



2017年1月19日 (木)

『大阪弁ちゃらんぽらん』「ねちこい」を読んで その3

議論をしていて、意見が違っても決して怒らず、冗長な口調で押し返す。堂々巡りでも倦まず、しぶとく食い下がる。 といった例がp.133に出ている。

これは私の語感ではねちこいではない。
ひつこさは出ているが、嫌味を言ってるわけではなさそうなので、粘着質感が少ない気がする。

粘着質が加わっていくと、「しつこい<ひつこい<ねちこい」になる気がする。
共通語形のしつこいより、大阪弁のひつこいの方が、ひつこいと思う。

「こういう人は、コッテ牛のようなものである。(p.133)」
コッテ牛という言葉を知らないんで調べたら、元気な牡牛のことだと。

「おせでもつけどもピリッとも動かぬ。(中略)咽喉もとへくらいついたら(中略)雷が鳴ろうが槍が降ろうが、決して放さない。(p.133)」が、コッテ牛の特徴か。

さっきの人は、ひつこいというよりはしぶとい。
ひつこいよりしぶといの方が、打たれ強さが加わる。また、プラス評価で使える。


 女のねちこいのは処理にこまるものである。
 私は、とくに同姓のワルクチはいいたかないのでありますが、姑、小姑、ねちこくいびってるのなぞは、男ではできにくいことである。(p.137)

ふむふむとは思うが、女の世界の裏側は見たことがない。
ドロドロやと噂では聞くが、実体験としてはない。

うちは姑によるいびりもなかったので、それは昼のワイドショーの再現ドラマでの世界だと思ってるぐらいの感覚。生で見たら、心の底から軽蔑できる自信がある。

われがわれがで、人を蹴落としたいがゆえにやるのか。暇やなあと思う。
それが快感になっていくから続けているのか。このド変態めっ。

でも、想像の範囲で続けるなら、男でもそんなのはいるような気がする。
木下ほうかさんの役どころを見てるとそういう気がしてきた。

「ねちこい女には、あたまのいいのは、あまりいない。(p.137)」とあるが、仕事はできるというのはおりそうな感じがする。
そして、男もそうだと思う。ねちこいやつは、総合的に見て頭が悪い。

男であっても女であっても、ねちこい嫉妬はただただみっともない。
嫉妬をしても、表に出さないというのが大人のたしなみである。



その4につづく。









2017年1月 1日 (日)

『大阪弁ちゃらんぽらん』「ねちこい」を読んで その2

さて、私が使う「ねちっこい」にはプラスの意味は皆無で、マイナスの意味しかない。
「粘り強い」「ひつこい」のプラスのニュアンスは「ねちっこい」ではすべて消える。

基本的にものには使わない。
同書にしばしば出てくる「ビッチクソ」(これは私は逆に「ビチクソ」)のような軟便には使えない。

動物を擬人化する性格でもないので、人間以外の生物にも使わない。
動物に使わないのは、私が動物の性格に興味がないから。

だから、動物を愛玩できる人なら、動物の負の行動の背後にどんな感情があるか読み取れるだろうから、使ってもおかしくはない。
よって、動物に使えるか否かは個人差があると思われる。

基本的には、「ひつこい」にねちねちしたくどさが加わった感じ。
「ひどく陰険で奸譎[注]な感じがする(p.132)」には激しく同意できる。

根にもって同じことを愚痴る、怒るタイプもねちっこい人ではあるが、私の中では優先順位は低い。
ねちっこいは、男と女が別れて後に、どちらかが関わろうとしている時に浮かびやすい。

そこは愛情と憎悪が渦巻く世界。ドロドロ感があるから、粘着質になるのか。
えん魔くんはカラッとしてるが。それはドロロンやった。

閑話休題。「よりを戻してくれ」も1回なら分からなくないが、繰り返されるとねちっこい。
「別れてくれ」にはねちっこさは感じない。

「いや、別れない」は、何度もそうであればねちっこさを感じる。
冷めきった態度であっても、良好な継続とは別の意図があって言ってる場合なら、ねちっこさを感じることがある。

まあ、そういう関係をややこしいと思うのは、言わずもがなである。





「ビチクソ」はLLLH。
「ビッチクソ」はLLLLH。





その3につづく。






[注]
奸譎(かんけつ(原文ママ)):よこしまで、心にいつわりが多いこと。



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