2017年2月 4日 (土)

『大阪弁ちゃらんぽらん』「あんだらめ」を読んで その1

「あんだらめ」pp.140-150

これは大阪弁感覚があればすぐに分かるが、そうでなければピンと来ないかも。
「あ」と「ん」の間に「ほ」を入れればわかるかと。

ぞんざいに言った時に、「ほ」が弱化して脱落してしまった言い方。
これは大阪弁だから落ちるというわけではなく、個人差がある。

ということで、この章は罵詈讒謗をあらわすことばの特集となる。
こういうのは学術ものではあまり書かれてないんで、こういうブログの方が気楽。


ケンカの時に相手を罵る語としては、
「おんどれ」「われ」
「ガキ」
「ド畜生」
などあり、相手が若いときは
「小便タレ」
などともいう。 (p.142)


「おんどれ」「われ」は確かに大阪弁だが、摂津弁ではないような気がする。
また、ガラが悪い、喧嘩が好きだという性格でないと、使わないと思う。

「おんどれ」は「おのれ>おんどれ」という変化か。
「の>ん」はよくある変化だが、そこに「ど」が入るのが面白い。

となると「おのれ>おどれ>おんどれ」かもしれない。「の>ど」という変化については可能性としてはあるけど、他に類例を見つけないとそうにちがいないと断言することはできない。

「われ」は自分自身のことを指すわけでなく、相手のことを指す。
「自分」「われ」を2人称として使う大阪弁話者は、一定数いるのは確か。

「われ、なんて名前や」はあまりにガラが悪いが、「自分、なんて名前?」というのは日常会話として使っている人がいる。
私はそう言わないが、他人が使っていても何の違和感もない。

「ド畜生」は想像はできるのだが、実際に聞いたことはない。
まあ、そういう現場にいたら、私はのびるどころか死んでしまいそうなんで。

さて、最後の「小便タレ」、これは「しょんべんたれ」と言う。
これは、今の私の年齢ぐらいで青二才相手に使うのが、ちょうどいいのかも。

だからといって、学生には使えないが。よほど気のおけない学生であっても。
まあ、気のおけないのんは、こんなセリフを吐かせへんやろうけど。

ちなみに、「しょんべんたれ」は男相手に使う。女相手なら「しょんべんくさい」。
なぜなのかは分からないがそういう区別はある。

実際に小便の臭いがするわけではない。
まだおねしょしてるぐらいの小さい子を誇張して使っている。

「小便臭い」女の例として、「あまりにも若くてまだ色気がたらん憾みがあり(p.143)」と書かれていた。
例えば誰というのは、さすがに控えておく。

このニュアンスが東京で伝わらないのは言うまでもない。
だから、私が使う機会はなさそうである。

さすがに職場では言えないし、今どきよっぽど気のおけない関係でもネタでしか言えない。
これを真顔で言える時代でないことは、一応理解している。

だから、「小便くさい」は使わない。
「小便タレ」と言ってやりたい奴は確実にいるが、今のところ大人のたしなみを守っている。





「おんどれ」のアクセントはLLLH。
「われ」はLH。HLでは迫力もくそもない。
「ガキ」もLH。

ついでながら蘊蓄を垂れると大阪弁の2モーラの卑罵語は基本的にLHが多い。
「あほ」「ぼけ」「かす」「はげ」「ちび」「でぶ」などなど。
ちなみに「ばか」はHL。やはりこの語は大阪弁になじまない。

「ド畜生」はLHLLL。

「しょんべんたれ」はHHHHHL。
「しょんべんくさい」はHHHHHLL。





その2につづく。





2017年1月30日 (月)

『大阪弁ちゃらんぽらん』「ねちこい」を読んで その4

おかしいことばでは、「ねちこち」というのがある。これもネチネチより、もうひとつ粘着した感じのものだ。(p.138)


この語彙も知らないし、聞いたことがない。「ねちこい」は「ねちねち」の「ねち」に「ーこい」がついたものだろうが、「ねちこち」は「ねちこい」から派生したのだろうか。

なぜ「ち」になったのか。「ねちねち」と「ねちこい」の混淆語なんだろうか。
「ゴリラ+クジラ→ゴジラ」のようだが、語末の1モーラだけが混ざったということか。


「ねちこいに似たものに、ネソというのがありますが知ってますか」
と熊八中年はいった。
「知ってます。ムッツリした、口かずの少ない、おとなしい人のことでしょう」
「そうそう、しかも、タダのネズミではないという感じ。おとなしい人、というのは人畜無害でありますが、『ネソ』にはどこか一抹のニュアンス、あやしき影の部分がある。そこがねちこいとねそのちがうところですな。――ねちこいは、法にふれることはしませんが、ネソは、もしや、という臭みもある。たいがい犯罪者があげられると、近辺の人はびっくり仰天して、あんなおとなしい人が、とおどろくのが多い――これつまり、ネソがコソするというのである」(p.138)


長い引用になったが、これはここまで書かないと理解できないので。
コソというのは、人にかくれて淫靡な行為をなすことである(p.139)そうだ。

「ねそ」も「こそ」も、私は聞いたことがない。
その手の話をする大人が周りにたまたまいなかっただけなんだろうか。


ネソがコソをする、というのは、虫も殺さぬ無垢な処女のような娘さんが、いつのまにかぼてれんになったりすることを指す。(p.139)


ぼてれんは妊婦のこと。
擬態語からの派生ではあるが、あまりにストレートすぎる。


「しかしまあ今は、ネソもコソも地を払いました。天下晴れて白日のもと、ねちこく、ネトネト、これみよがしになってはりましたわ。今にして思うと、ネソもコソもかわいいもんでした」(p.139)


どおりで、「ねそ」も「こそ」も知らないはずである。
ついでながら、「ネトネト」は理解できるが、使わない。

昭和の大阪が、時代とともに変化したということか。
猥雑さがある街だが、少しずつ取り除かれているのかもしれない。

きれいになった京橋駅付近を見るたびに、そう思う。



「ねちこち」のアクセントはHLLLで、「ねちねち」と同じ。
「ネトネト」はHLLLより、LLLHの方がすっきりする。
先の2つはLLLHやと違和感あり。

「ねそ」も「こそ」もHL。

「ぼてれん」はLLHH。





この章終わり。



2017年1月19日 (木)

『大阪弁ちゃらんぽらん』「ねちこい」を読んで その3

議論をしていて、意見が違っても決して怒らず、冗長な口調で押し返す。堂々巡りでも倦まず、しぶとく食い下がる。 といった例がp.133に出ている。

これは私の語感ではねちこいではない。
ひつこさは出ているが、嫌味を言ってるわけではなさそうなので、粘着質感が少ない気がする。

粘着質が加わっていくと、「しつこい<ひつこい<ねちこい」になる気がする。
共通語形のしつこいより、大阪弁のひつこいの方が、ひつこいと思う。

「こういう人は、コッテ牛のようなものである。(p.133)」
コッテ牛という言葉を知らないんで調べたら、元気な牡牛のことだと。

「おせでもつけどもピリッとも動かぬ。(中略)咽喉もとへくらいついたら(中略)雷が鳴ろうが槍が降ろうが、決して放さない。(p.133)」が、コッテ牛の特徴か。

さっきの人は、ひつこいというよりはしぶとい。
ひつこいよりしぶといの方が、打たれ強さが加わる。また、プラス評価で使える。


 女のねちこいのは処理にこまるものである。
 私は、とくに同姓のワルクチはいいたかないのでありますが、姑、小姑、ねちこくいびってるのなぞは、男ではできにくいことである。(p.137)

ふむふむとは思うが、女の世界の裏側は見たことがない。
ドロドロやと噂では聞くが、実体験としてはない。

うちは姑によるいびりもなかったので、それは昼のワイドショーの再現ドラマでの世界だと思ってるぐらいの感覚。生で見たら、心の底から軽蔑できる自信がある。

われがわれがで、人を蹴落としたいがゆえにやるのか。暇やなあと思う。
それが快感になっていくから続けているのか。このド変態めっ。

でも、想像の範囲で続けるなら、男でもそんなのはいるような気がする。
木下ほうかさんの役どころを見てるとそういう気がしてきた。

「ねちこい女には、あたまのいいのは、あまりいない。(p.137)」とあるが、仕事はできるというのはおりそうな感じがする。
そして、男もそうだと思う。ねちこいやつは、総合的に見て頭が悪い。

男であっても女であっても、ねちこい嫉妬はただただみっともない。
嫉妬をしても、表に出さないというのが大人のたしなみである。



その4につづく。









2017年1月 1日 (日)

『大阪弁ちゃらんぽらん』「ねちこい」を読んで その2

さて、私が使う「ねちっこい」にはプラスの意味は皆無で、マイナスの意味しかない。
「粘り強い」「ひつこい」のプラスのニュアンスは「ねちっこい」ではすべて消える。

基本的にものには使わない。
同書にしばしば出てくる「ビッチクソ」(これは私は逆に「ビチクソ」)のような軟便には使えない。

動物を擬人化する性格でもないので、人間以外の生物にも使わない。
動物に使わないのは、私が動物の性格に興味がないから。

だから、動物を愛玩できる人なら、動物の負の行動の背後にどんな感情があるか読み取れるだろうから、使ってもおかしくはない。
よって、動物に使えるか否かは個人差があると思われる。

基本的には、「ひつこい」にねちねちしたくどさが加わった感じ。
「ひどく陰険で奸譎[注]な感じがする(p.132)」には激しく同意できる。

根にもって同じことを愚痴る、怒るタイプもねちっこい人ではあるが、私の中では優先順位は低い。
ねちっこいは、男と女が別れて後に、どちらかが関わろうとしている時に浮かびやすい。

そこは愛情と憎悪が渦巻く世界。ドロドロ感があるから、粘着質になるのか。
えん魔くんはカラッとしてるが。それはドロロンやった。

閑話休題。「よりを戻してくれ」も1回なら分からなくないが、繰り返されるとねちっこい。
「別れてくれ」にはねちっこさは感じない。

「いや、別れない」は、何度もそうであればねちっこさを感じる。
冷めきった態度であっても、良好な継続とは別の意図があって言ってる場合なら、ねちっこさを感じることがある。

まあ、そういう関係をややこしいと思うのは、言わずもがなである。





「ビチクソ」はLLLH。
「ビッチクソ」はLLLLH。





その3につづく。






[注]
奸譎(かんけつ(原文ママ)):よこしまで、心にいつわりが多いこと。



2016年12月31日 (土)

『大阪弁ちゃらんぽらん』「ねちこい」を読んで その1

「ねちこい」pp.129-139

私は「ねちっこい」であって、「ねちこい」ではない。
「ねちこい」の強調形として使っているつもりもない。

親(1946生)も「ねちっこい」と言うので、「ねつこい」の方がさらに古いのか。
まあ、促音が挿入されているんだから「ねちこい>ねちっこい」の変化の方が自然だろう。

『日葡辞書』(1603)には「ネツイヒト」が載ってるらしい(p.132)。
田辺氏は岡山弁の「ねつい」も根拠として、「ねつい>ねつこい>ねちこい」を推定している。

手元の『大辞林』にも「ねつい」「ねつこい」「ねちこい」は載っている。
「-こい」は「ひつこい」「めんこい(=可愛い)」「冷やこい」と同様の接辞か。p.131にも同様の指摘がある。

まず、ひっかかるのは、「ねつい>ねつこい」という接辞の変化。
どういう類推が働いて接辞が変わったのか、他の例がないと何とも言えない。

次に「ねつこい>ねちこい」という音韻変化。
「u>i」自体はありうることなんだが、「ねちねち」がいつごろ誕生したのかが気になる。

この推定はまんざらおかしな説ではないとは思っているが、慎重に考える必要がある。
なお、「ねちこい>ねちっこい」の変化には、何の違和感もない。




「ねちっこい」のアクセントは、HHHHL。
「ねちこい」はHHHL。




その2につづく。


2016年12月12日 (月)

『大阪弁ちゃらんぽらん』「いちびる」を読んで その2

おちょくる→いちびる→ほたえる(p.126)
この順番には、若干の抵抗がある。

「おちょくる」には愚弄のニュアンスがあるが、「いちびる」は調子乗ってる感じ。
そして、「ほたえる」はわめいているという叫喚の感じ。

だから、この3つを同一軸で比べることに違和感がある。
明らかに位相が違うと思うんだが。

「ほたえる」は、ただただばか騒ぎしている感が大きい。
なので、相手をからかうというのとはかなり違っている。

「いちびる」も「ほたえる」も、ふざけている感はあるが、両者は別物。
「いちびる」は口頭で挑発(p.125)、「ほたえる」は肉体・動作をともなう(p.123)は割と納得できる。

「ほたえる」は調子に乗ってる時もあるが、そうじゃなく騒いでる時にも使える。
また、必ずしも相手を挑発しているわけではなく、必ずしも愚弄しているわけでもない。

子どもが大声で騒いどったら、「ほたえるな」とは言うけど、「いちびるな」ではない。
そこにからかいがなければ、「いちびるな」ではない。

もちろん大人が大騒ぎしてても、「ほたえるな」。
かぼちゃの祭りは嫌いな人には「ほたえるな」と発したくなるかもしれない。

犬は喜び庭駆け回りやと、「ほたえるな」かも。
それは犬好きかどうかが関わってくるので、人それぞれかも。

さて、「いちびる」は「イチビリ」というように、連用形転成名詞になれる。(p.125)
それに対して、「オチョクリ」や「ホタエ」とは言えない。

これは「いきる(いきってる)」が「イキリ」にはなるが、「いきがる」は「イキガリ」にならないようなものか。もともとの語彙の属性か、そういう人が多いからそういう用法が生まれたのかはよく分からない。



「いちびる」のアクセントはHHHH。
「いちびり」はLLHL。

「おちょくる」も「ほたえる」もHHHH。
「いきる」はHHH。「いきってる」はHHHHH。




この章終わり。




2016年12月 1日 (木)

『大阪弁ちゃらんぽらん』「いちびる」を読んで その1

「いちびる」pp.118-128

私の内省では、日常会話で「いちびる」という基本形は使わない。
動詞として使うなら「いちびってる」、あるいは連用形転成名詞の「いちびり」。

「おちょくる」は、揶揄、嘲弄(p.119)を含み、時に愚弄するまでいくことがある。
それに対して「いちびってる」は、調子乗ってふさげてる感じがする。

だから、ある程度はいいのだが、ある時に相手は爆発する。
「おまえ、なにいちびってんねん」と言って怒り出す。

「いちびる」には「甘えてつけ上がる」も含まれる(p.119)とされている。
これについては、私も素直に首肯できる。

子どもがこの大人なら大丈夫だろうとふざけまくる。
大人もしばらくは寛容しているが、いつまでもやってたら「ええかげんにせえ」とブチ切れる。

大人が子供をいちびる例がp.121に挙げられているが、これは首肯できない。
せいぜい年長者が年少者にやる時は、「からかってる」の方があっている。

「♪はしゃぎすぎてる夏の子どもさ」という歌詞が、真心ブラザーズの『サマーヌード』に出てくる。
歌でのニュアンスはちょっと違うが、字面だけ見れば、これが「いちびる」の典型だと思う。ただし、夏でなくてもいい。

大人がいちびらないわけではない。
でも、私の中では子ども相手にはやらず、大人同士が子どもの頃、あるいは学生時代に戻ってという感じである。

これがしょうもないことであれば「はいはい」と流される程度である。
いちびってる時は騒いでいるから、うっとうしくなって相手が怒ってしまうのである。

ただ、「あいついちびりや」と言う場合は、いちびる度合いが若干おとなしい気がする。
それはしょっちゅういちびってても、今現在いちびってないから。

評価する際、もう少し程度が強くなると「あいついちびってんのんちゃうか」。
その時は腹立ってむかついてても、まだ爆発するほどではない。




その2につづく。





v

2016年11月14日 (月)

『大阪弁ちゃらんぽらん』「しんきくさい」を読んで その2

単調な作業の繰り返し(p.109)や細かい文字が並んでいる(p.109)時に言う「ああしんきくさ」は私の内省ではすっきりしない。
「めんどくさ」か「じゃまくさ」の方が、しっくりくる。

事務仕事に対して「しんきくさい」とも思わない。
外回りが好きな人から見ればそうなのかもしれないが、私もデスクワークが多いので、そう思えない。

「しんきくさい恋」(p.111)は、私は実感できないが、他者には言ってしまうかもしれない。
ただ、暗くてもコトが進まなくても、当人同士がよけりゃ、それはそれで。

ただ、めそめそ泣かれたり、ぐちぐち泣かれたりするのは、しんきくさい。
しくしく泣かれても、だらだら泣かれても、しんきくさい。

ただ、別れる時は明るく楽しくよりは、ちょっとぐらいしんきくさくてもいいと思う。
あまりしたい経験ではないのだが。

なお、しんきくさいからといって、必ずしもそれが嫌なわけではない。
しんきくさくてもいい場合はなくはないので。

ただ、そんな経験をこんなところでさらす気はない。
それを書いたら、いろんな人からクレームが入りそうなんで。




この章、終わり。






2016年11月 2日 (水)

『大阪弁ちゃらんぽらん』「しんきくさい」を読んで その1

「しんきくさい」pp.107-117

しんきくさい、という大阪弁は、もどかしい、じれったい、うっとうしい、くさくさする、いら立たしい、くだくだしい、などという、いぶせき状態をさす語である。(p.107)


くさくさする=気持ちが晴れ晴れとしない状態になる
くだくだしい=(繰り返しが過ぎて)長ったらしい


この2つは私もよく分かってないので、注釈をつけた。
それと、「いぶせき」。これは連体形で、終止形は「いぶせし」。私にとっては、古語である。


いぶせし=気が晴れない、うっとうしい、不快だ


「辛気」に「くさい」がついて、より強調されている語構造は、多くの人が理解できるだろう。
「めんどくさい」「じゃまくさい」と同様なのは、p.107でも指摘されている。

さて、先の意味では、私の中でのしんきくさいと若干合わない。
私にとっての「しんきくさい」は暗いことが前提になっているから。

暗いは灯りがではなく、雰囲気がということ。
暗くて、笑いにならない状況で、よく分からないから退屈って感じが私には合う。

無口でもかわいらしければいいんだが、暗い雰囲気を醸し出されると「しんきくさいやっちゃ」。
ただ、その人がしゃべらなくてもいい場面なら、そうは言わない。

上手ければいいんだが、下手くそな人情噺は、これぞまさに「しんきくさ」って感じ。
暗い話にメリハリもなく、オチもなければ、涙も出ない。「ほんま、しんきくさい噺やで。帰ろか」が似合う。

大衆芸能が伝統芸能になってしまった時に、しんきくさいもんになりやすい。
しんみりした感じで、よう分からんし、退屈になるし、やったら間違いなくしんきくさい。

しんきくさいもんを見るぐらいやったら、低俗でも今の大衆芸能を見る方がいい。
私に合う笑いを求める方が、先が明るいので。



「しんきくさい」のアクセントは、HHHHLL。

「くさくさする」は、HLLLLL。
「くだくだしい」は、HHHHLL。
「いぶせし」は、HHHL。

ここまできたら、ついでなんで。
「もどかしい」は、HHHLL。
「じれったい」は、HHHLL。
「うっとうしい」は、HHHHLL。

形容詞は基本的に-3型、すなわち後ろから3番目のモーラの後に下がり目がある型になる。




v

2016年10月30日 (日)

『大阪弁ちゃらんぽらん』「ややこしい」を読んで その3

不景気やと店は「ややこしく」(p.102)なる。
赤字決算や粉飾決算、ブラックやったら「あの会社、ややこしいで」(p.103)

電子レンジの操作が難しい時に、「ややこしィて……」(p.103)
時代を感じる。今なら、パソコンやスマホがややこしいんかもしれない。

若い世代なら、ややこしさを感じないかもしれない。
スマホはできてもパソコンは使わない人がそれなりにいるようだが。

牛肉何百グラム、ナスビ何個いくらという「ややこしい」計算(p.104)をすらすらする。
これも隔世の感がある。今ならレジ、それもバーコードでさっさとすむこと。

「ややこし顔」(p.104)は、ぶさいくだけでなく、しかめっ面も指す気がする。
「ややこしい髪」(p.105)は、天パだけじゃなく、モヒカンやパンチパーマで思う人がいるだろう。

最後に、「ややこしい年齢」(p.106)って、一体どの年代なんやろう。
40代は若いもんとも年寄りともあわんなあ、と言われたことがある。

一理あるが、私のような職業は年中若いもんと顔をあわせている。
しかし、話してる内容は必ずしも分かっていない。

「ややこしい年齢」は若者には使わない気がする。
おっさん、おばはん以上の世代だろう。線引きは世代によって異なるが。



この章、終わり。






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