2019年2月18日 (月)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その2

田辺さんにとっては、「ポチ」は耳障りな言葉であるらしい。
私にとっては、全く耳障りではない。

ここでいう「ポチ」は、小さい点のことでも犬の名前でもない。
また、ボタンを押す時の擬音語ポチッとなでもなければ、派生形のポチるでもない。

「ポチ」は、心付や祝儀のことを指す。
よって、お年玉を入れる袋を「ポチ袋」と呼んでいる。

かつては、大阪から東京に進出した百貨店が、新聞広告に「ポチ袋いろいろ」と書いて伝わらなかったようだ(p.30)。
今では十分共通語のように思えるけど、自身で確認したことはない。

正月に会う子供はほとんどいないため、ポチ袋を準備したことがない。
大阪の家に行けば置いてくれているので、いつもそれをもらっている。

もはや、この歳でポチ袋をもらうことはなく、渡す一方である。
チップをもらえるような仕事をしてないし、もらえるとしたら祝儀袋だろうから。

ポチ袋は小さい祝儀袋。「これっぽっち」の「ぽっち」から来ているのではなかろうか。
もともとは「これっぽち」だったのかもしれない。

そういう意味では、この程度しか渡せませんがという美徳を感じる。
だから、ポチ袋の中身が少なくても文句を言ってはいけない。





「ポチ」のアクセントは、HL。
「ポチ袋」は、LLHLL。

「これっぽっち」は、HHHHHL。
「これっぽち」なら、HHHHL。




その3につづく。




2019年1月28日 (月)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その1

ちちくる ―上方弁の淫風 pp.23-39

野菜などの食べもんに「お」をつける話は、以前にも書いた。
私の内省で使うものと使わないものがある。大阪弁として言うかどうかではなく、私が言うかどうかの話。


大根の「おだい」や菜っ葉の「お菜さん」は私は使わない。
豆を「豆さん」とは言いにくく、「お豆」なら言える。「お豆さん」が言えるのは、フジッコの影響かもしれない。

かき餅の「おかき」は言えるけど、饅頭の「おまん」は言わない。餅の「おもち」は言える。
汁の「おつゆ」は言える。味噌汁も「おしる」。「お味噌のおつゆ」は冗長過ぎて言わない。

粥は「おかいさん」も「おかい」も言える。雑炊の「おみい」は言わない。
油揚げは「おあげさん」「あげさん」とは言うが、「おあげ」は言わない。

芋が「おいも」、なすびが「おなす」はそれぞれ言える。
じゃがいもでも、さつまいもでも、さといもでも「おいも」。山芋はさすがに「おいも」ではない。

野菜は他に思いつかない。本文p.24にもあるように、きゅうりを「おきゅう」、ごぼうを「ごぼうさん」とは言わない。
「にんじんさん」「さんしょうさん」「しいたけさん」「ごぼうさん」「れんこんさん」だと『おべんとうばこのうた』になってしまう。

しかし、地味な弁当である。茶色ベースの弁当って、昔のおばあちゃんというイメージがぬぐえない。
最近は、山椒がさくらんぼになったようである。それはそれで、バランスが悪い。

閑話休題。キャベツやレタスやトマトは外来語だから、「お」も「さん」も違和感あり。
「おレタス」なんてのを聞いてしまうと、喜劇に出てくる貴婦人のように感じる。

南瓜(かぼちゃ)やほうれん草は、漢語だからやはり「お」や「さん」には違和感がある。
「おなんきん」や「おほうれんそう」は長すぎて語呂が悪い。「お白菜」も、かなり変な感じ。

かぶを「おかぶ」、たまねぎを「おたま」とは言わない。
「おたまねぎ」は無理だが、ねぎの「おねぎ」は言える。

漬物の「おこうこ」も私は言わない。「香々」の縮まった形だが、使わない。
単純に「つけもん」というか、洒落たとこでは「香の物」。「おこう」だと、焚くものになってしまう。

豆腐の「おとうふ」は普通に言えるが、「おとふゥ」にはならない。
「サンザカ>サザンカ」のような音位転換は、私の内省では起こさない。





「ちちくる」のアクセントは、HHHL。


「大根」は、HLLL。「おだい」はよく分からないが、私が発するとすれば、LHL。
「菜っ葉」は、LLH。「お菜さん」は、LHLL。

「豆」は、LH。「お豆」は、LHL。
「豆さん」は、LHLL。「お豆さん」は、LHLLL。

「かき餅」は、LHLL。「おかき」は、LHL。
「饅頭」は、HLLL。「おまん」は、LHL。
「餅」は、HH。「おもち」は、LLH。

「粥」は、LH。「おかいさん」は、LLLLH。「おかい」は、LLH。
「雑炊」は、LLLH。「おみい」は、LHH。
「油揚げ」は、HHHLL。「おあげさん」は、LLLLH。
「あげさん」は、HHHH。「おあげ」は、LLH。

「芋」は、HL。「おいも」は、LLH。
「じゃがいも」は、LLLH。「さつまいも」は、HHHLL。「さといも」は、HHHH。「山芋」は、HHHH。

「なす」は、HL。「なすび」は、LHL。「おなす」は、LHL。
「きゅうり」は、HLL。「おきゅう」と言うなら、LLH。
「ごぼう」は、HHH。「ごぼうさん」は、HHHHH。

「にんじん」は、LLLH。「にんじんさん」は、LLLLLH。
「山椒」は、HHH。「さんしょう」は、HHHH。「さんしょうさん」は、HHHHHH。
「しいたけ」は、HLLL。「しいたけさん」は、HLLLLL。
「れんこん」は、HHHH。「れんこんさん」は、HHHHHH。

「さくらんぼ」は、LLHLL.。

「キャベツ」は、HLL。「レタス」は、HLL。「トマト」は、LHL。「おレタス」なら、LHLL。
「なんきん」は、HHHL。「かぼちゃ」は、HHH。「ほうれんそう」は、HHHHHH。
「おなんきん」なら、LHLLL。「おほうれんそう」は、LHHHHHH。
「白菜」は、HLLL。「お白菜」なら、LHLLL。

「かぶ」は、HH。「おかぶ」は、LLH。
「たまねぎ」は、LLHL。「おたま」は、LHL。「おたまねぎ」は、LLLHL。
「ねぎ」は、LH。「おねぎ」は、LHL。

「つけもの(つけもん)」は、LLLH。「おこうこ」は、LLLH。
「香々」は、LLLH。「香の物」は、LLLHL。「おこう」は、LLH。

「豆腐」は、LLH。「お豆腐」は、LLLH。「おとふゥ」は、LLLH。


その2につづく。


2019年1月 6日 (日)

『大阪弁おもしろ草子』「よういわんわ」を読んで 補遺

「よういわんわ」の話は、尾上圭介『大阪ことば学』(1999、創元社)にもとりあげられている。
ここでの記述に対して、私の内省では若干変わってくるので、所感を示しておくことにする。

「よう行かん」が能力不可能、「行かれへん」が状況不可能という区分に、基本的には同意する。
ただ、私の内省では、後者はどちらにでも使えるようになっている。

p.87の例で考えてみると、「そんなこと、よう行かんわ」は、「そんな遠いとこへ呼びつけるなや。行けるかいな。」という状況不可能では使えず、「行かれへんわ」の方が自然である。

「自分の体力、気力が足りなくて行けない」という能力不可能では、「よう行かん」でも「行かれへん」でも、どっちでもいい。
ただ、この場合、「よう行かん」はかなりしんどい時である。

ついで、p.91からについてだが、「よう」の否定形として「よう行かん」「よう行かへん」「よう行けへん」の3つがあるという。
私は、「行かん」「行かへん」「行けへん」はそれぞれ単独なら使える。

しかし、「よう」の後という条件では、「行かへん」は若干違和感あり、「行けへん」はかなり違和感がある。
また、私にとって「よう行かへん」「よう行けへん」は使用語彙ではない。

「行かん」と「行かへん」には、動作主の人称の違いがあるという。
前者はどの人称でも使えるが、後者は2,3人称でしか使えず、1人称では使われないとのこと。

私の内省では、「あいつ、よう行かへん」は、理解語彙としては若干の違和感がある。
使用語彙としては、「行かれへん」の方が自然である。

そして、この人称の区別は若い人の間ではくずれているようで(p.93)、昭和20年代後半生まれから30年代前半生まれまでの世代で変化があったとのこと。この著書での若い人に私は該当している。

それでも、私は使わない。「ぼく、よう行かへん」は、自分で使うとなると、結構気持ち悪い。
「ぼく、よう行けへん」だと、大阪弁じゃない気がしてくる。



「よう行かん」のアクセントは、HH HHH。
「行かれへん」は、HHHLL。
「行かへん」「行けへん」は、共にHLLL。



2018年12月 9日 (日)

『大阪弁おもしろ草子』「よういわんわ」を読んで その4

「ようせんわ」「よういわんや」を共通語に訳しにくい(p.16)というのは、同感である。/div>
この「よう」は、古文の「え~ぬ(打消)」から来ている。


「言えない」と「よう言わん」とはニュアンスが違うと私は思う。「よう言わん」を標準語に訳すると、
「とてもそこまでつっこんで言うことはできない、私の立場、私の才徳、私の器量ではそれほど私の手にあまることで、私では、なし能わぬことである」
という意味があるから、これをどうしても標準語にするとなると
「とっても言えないわ」
とでも付加しないといけなくなる。(p.17)


かなり丁寧な翻訳であると思うが、場面次第だろう。
私なら「とてもじゃないけど言えない」と付加するが、「とてもじゃないけど」は多義である。

恥ずかしいからもあれば、圧力があるからもある。くだらなすぎてもあれば、率直に言うのは失礼だからもある。
もう少し想像できれば、もっとあるだろう。

さて、大阪弁で不可能を表す表現には、「よう言わん」と「言われへん」がある。
「~できない」を「よう~ん」あるいは「~へん」で言うということである。

かつては、「よう~ん」が能力不可能、「~へん」が状況不可能という区別があった。
ただ、私の内省では、後者は両方の意味で使える。

疲れてものが言えない時には「よう言わん」となるが、言う場が与えられなかったときには「よう言わん」は使えない。
それに対して、「言われへん」はどちらの場面でも使える。

ただ、質の差は感じており、「よう言わん」の方が、深刻な感じがする。
「言われへん」より「よう言わん」の方が、よっぽど言えないことがあるんやなと感じる。

ただ、「よう~ぬ」は断言しているようで、そうではない。
このあたりも以下の引用部に同感できる。


この、「よう」というのをつけると、言葉のあたりも柔かくなるので、聞く人の耳にも障りがないように思われるのだが、どうであろうか。言えないわ、できないわ、というキッパリした断定とはちがって、
「よう言わんわ」「ようせんわ」
というと、アトをひく感じで、
「何でやいうたら……」
とか、
「そやかて(ビコーズ)……」
とか、その理由をつづけたくなる。(p.18)


「言えまへん」(p.18)は私は使わず、「言えません」と共通語化した。
私の世代で「言えまへん」は、すでに古くてベタな大阪弁と感じる。

断言する時には、「言えません」となる。
ただし、それはあいそもこいそもない。

だからといって、若干柔らかめにするために「よう」を使った「よう言えまへん」は、「よう言えません」では使えない。
「よう言えません」だと、大阪弁と共通語の混種語となってしまい、かなりの違和感がある。

余計なことを付け足す話し方というのは、大阪弁の特徴の一つであろう。
これが要らんことであるかどうかは、話し手の力量によるところが大きい。



「言う」のアクセントは、HH。
「言わない」は、HHLL。
「言わん」は、HHH。「言わへん」は、HLLL。
「よう言わん」は、HH HHH。「よう言わんわ」は、HH HHHL。

「言われへん」は、HHLLL。
「言えません」は、HHHHH。「言えまへん」は、HHHHH。

「する」は、HH。
「しない」は、HLL。「せん」は、HH。
「ようせん」は、HH HH。「ようせんわ」は、HH HHL。

「そやかて(せやかて)」は、HLLL。

「要る」は、HH。
「要らん」は、HHH。「要らんこと」は、HHH HL。



この章終わり。



2018年11月 2日 (金)

『大阪弁おもしろ草子』「よういわんわ」を読んで その3

「去ぬ(いぬ)」という古語は大阪では日常次元で使っているので、古語とは思えない(p.10)とあるが、私は既に古語のように感じている。
聞いたことがないとは言わないが、私の世代ではないと感じている。

「去のか? ぼちぼち」
「うん」(p.11)

「去ぬ」は若い人たちも使う(p.10)とあるが、少なくとも私は使わない。
田辺さんにとっての若い人たちに、私は該当しないようである。

田辺さんが昭和20年代に卸問屋の事務員をなさっていた頃の会話として、以下の例が挙げられている。
この頃の若い人たちは、すでに70代で私の親の世代となる。

外回りの販売員が帰ってきて、
「今日は黒犬のケツや。どこも『去ね去ね!』いいよる」
とクサったりしていた。去ぬ、を命令形でいうと去ね、であるが、景気が悪くて売り足が落ちると、小売屋も注文どころではなく、問屋の若い衆を見ると「去ね去ね」と追い返すのである。(p.11)

学生にはナ行変格活用の話をする時に、「死ぬ、去ぬ、往ぬ(いぬ)」の例を挙げる。
共通語では死ぬ以外は死語に近く、学生世代では明らかな死語である。

だから、とっさに活用形が出てこない学生がいる。
ただ、これは内省できなくても規則が分かっていれば、機械的に出てくるはずなんだが。

「黒犬のケツ」は、犬のケツにはしっぽが生えていることを想像すればよい。
黒い犬のしっぽは黒いから、白くない。だから、尾も白くない(=面白くない)ということ。

白犬は尾も白いの反対語である。
私の姉は便秘ですというくだらない話と比べて、どっちがおもろいのだろうか。



「去ぬ」のアクセントは、HH。
「去ね」は、HL。

「ぼちぼち」は、LLHL。

「黒犬」は、LLLH。「白犬」も、LLLH。「黒犬の」は、LLLLH。
「ケツ」は、HL。

「おもしろい」は、HHHLL。
「おもしろくない」は、HHHHL LH。
「おもろい」は、HHLL。
「おもろない」は、HHHLL。





その2につづく。






2018年10月22日 (月)

『大阪弁おもしろ草子』「よういわんわ」を読んで その2

「~わいな」は、私にとっては使用語彙ではない。
かなり古めかしく感じるか、南の方やなと感じるか。

「~わい」ですらほとんど使わないので、「わいな」はなおさら。
私が「行くワイ」というと、むしろエセ大阪弁のようになってしまう。

もちろんアクセントは大阪弁で言えるが、しっくりこない。
終助詞「わ」なら使うが、終助詞「わい」は、私の言葉にはなじまない。


死語になると、古典とのつながりというか臍の緒が断たれてしまうので、まことに残念であるが、しかし言葉は生きものだから、その変貌をおしとどめるすべはない。(p.8)


若い世代はたくさんの古語を葬り、たくさんの新語を作る。
今の若い人はことばを知らないという人もいるが、若者から見れば年寄りはことばを知らないと感じる。

この点は目くそ鼻くそ。古きことばを子々孫々まで残すなんてのは絵空事である。
まして、伝統芸能があまり好きじゃない私にとっては、なおさら。

「夜さり」という枕草子にも出てくる表現も、私の使用語彙ではない。
夜や晩のことを指すが、私の中では古典の世界で、昔の大阪弁とも感じなくなっている。

ただ、こういった表現については、20歳以降大阪に住んでないことも関わってる気がする。
他の地方に行って日常的に大阪弁を聞く機会は減っており、年配層の大阪弁はなおさら聞く機会に恵まれない。

だからといって、住み続けていたら使っていたかと言われたら、答えは否だろう。
その年齢に応じた感覚に合わなければ、使わなくなるので。

よって、今の私の言葉も若い世代に引き継がれないことに対する感慨は全くない。
そんなもんやろうと達観しているんで。



「行くワイ」のアクセントは、HHLL。
「行くわいな」は、HHHLL。

「夜さり」は、音声言語として聞いたことがないが、発音するならHHHか。
LLHになるかもしれないが、起伏型では発音しないと思う。


その3につづく。



2018年9月10日 (月)

『大阪弁おもしろ草子』「よういわんわ」を読んで その1

「よういわんわ ―古語について」pp.7-22

過疎ブログ久しぶりの更新で、『大阪弁おもしろ草子』シリーズに突入。
こちらは更新頻度が遅いので、このシリーズは何年かかって完結するのか。

拙速に書評を書くよりはのんびり読めるのがいい。
研究論文から大阪弁を眺めるのではなく、時代背景を追いながら違いを捉えていけるのがいい。

仕事ではないので〆切にも追われず。
でも、巡り巡って、自身に役立つ知識を提供してもらっている。

では、本題に。


上方弁に古語が残っているというのはよくいわれるが、どんどん標準語、あるいは共通語に変わっていってしまい、典雅な古語が死語になっていくのは寂しい。(p.7)


「うたて」が東北にも残っている(p.7)という話が冒頭にあるが、これは当然のこと。
古語は周辺に残るというのが、言語地理学における所見の1つ。

地域の中心部から新しい言葉が生まれる。
それが周囲に広がった頃に、中心部はまた新しい言葉を生み出している。

だから、中心部は古語が残ることがないわけではないが、失われることの方が多い。
そういう意味では、寂しさを感じない生き方がその地の必然なのかもしれない。

ユニバーサルスタジオジャパンが大阪にできた時、東京をはじめ多くの地方は頭文字語の「USJ」。
一方で、近畿一円は「ユニバ」とちゃんと日本語化させ、アクセントは「マクド」と同じでLHL。

昔なら周囲がユニバに浸食されていくものなのだが、今は東京中心なのでUSJが全国に広がる。
発信地が2か所の場合には、より中心である方が全国への影響力が高いことが分かる。

よって、大阪弁に共通語の流入は避けられない状況だが、その割には維持している表現はそれなりにあるし、今だ新語を発信しようとしている姿勢がいい。そして、生み出し続けることに疲れてたまに共通語に頼るというのもちょうどいい。

東京に方言が流入した場合は、大抵の場合用法を簡略化する。
群馬・長野や北九州の「あーね」や近畿の「それな」などはそう感じる。

「あーね」は若者言葉としては軽い相槌程度でしか使われないが、もともとは納得、理解、同意(それぞれ強弱の程度あり)、無関心といった多様な用法があるが、共通語化されるとその多様性は失われる。

流入して新たな意味が加えられる場合もあるが、「あーね」には今のところ見られない。
だから、理解や同意を示す時に、「それな」という異なる方言語形を用いている。

失っていく言葉もあれば、他の地域で残っている言葉もある。
そして、大阪弁は今なお新語を発信する気概を持っている。

それが典雅かどうかは抜きにして。





「うたて」のアクセントは、HHH。

「ユニバーサル」は、LLHLLL。
「スタジオ」は、HHHH。
「ジャパン」は、LHL。
「ユニバーサルスタジオ」は、LLHHHH HLLL。
「ユニバーサルスタジオジャパン」は、LLHHHH HHHH HLL~LLHHHH HLLL LHL。

「ユニバ」は、LHL。
「マクド」はLHL。

「あーね」は、理解語彙としてHHH。
「それな」は、HHH。




その2につづく。



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2018年8月 5日 (日)

『大阪弁ちゃらんぽらん』「あんだらめ」を読んで 補遺

ちゃらんぽらんを終えて、次に進もうと思っていたが、考え直して違うなあと気づいたところを修正したい。
「あんだら」と「あほんだら」は、そもそも違うんじゃないかと考えを改めた。

久しぶりに『全国アホ・バカ分布考』を真面目に読み直している。
この本は学生に読んでもらいたい良書だと思っている。

さて、「ダラ」は鳥取・島根あたりに残るアホ相当の古い方言。
「あほんだら」は「アホ」に「ダラ」がついた形である。

しかし、それより新しい語形として、岡山の「アンゴウ」がある。
この新古の関係をふまえて、「アンゴウ」に「ダラ」がついて「アンゴウダラ>アンダラ」が指摘されている。(同署pp.335-366)

納得。あほんだらのホの脱落より、新旧の関係、通時的変化がしっくりくる。
その3で書いた「『大辞林』を見てると、「あの道楽(ドラ)」の縮約形」説や牧村史陽による「阿呆太郎?」説はないなと。

この手の語彙もちゃんと考えないとという反省をふまえての補遺。
そして、アホンダラ教の教祖、帯谷孝史(吉本新喜劇)ネタを書いてないという反省をふまえての補遺。

そして、「あんだら」「あほんだら」のアクセントを書き忘れるというどうしようもないミスに対する反省をふまえての補遺。


「あんだら」のアクセントは、LLHL。
「あほんだら」は、LLLHL。
「あほ」は、LH。




2018年7月 8日 (日)

『大阪弁ちゃらんぽらん』「てんか」を読んで その7

「命まで賭けた女がこれかいな」の「かいな」は感嘆。
「ほんまかいな」の「かいな」は疑問。(p.228)

終助詞の機能というのは、多種多様。
といっても、無限に広がるわけではないが。

「かいな」は私も使うが、「わいな」は使わない。
「知っとるわい」の「わい」というのもほとんど使わない。

「てんか」は使わなくはないが、私の中での頻度は減ったように感じる。
「黙っててんか」という相手が周りにいないからかもしれない。

命令というより依頼なんだが、ぞんざいでも「黙っとけ>黙っといて」ですませる。
もっと柔らかくなら、「黙ってくれへんか」。

「てんか」はやや強めの命令、かつベタな大阪弁なので、よそいきの大阪弁としては使いにくい。
この最終章では、「てんか」を大阪弁の代表にしてんかとしめているが、それについては異存はない。




「命」のアクセントは、HLL。「命まで」は、HLLLL。
「賭けた」は、LHL。
「女」は、HLL。「女が」は、HLLL
「これ」は、HH。「これかいな」は、HHHLL。

「ほんま」は、LLH。「ほんまかいな」はLLLHLL。

「知っとる」は、LLHL。「知っとるわい」は、LLHLLL。

「黙る」は、LLH。「黙って(命令)」は、LLLH。「黙って(連用中止)」は、LHLL。
「黙っててんか」は、LLLLHHH。
「黙っとけ」は、LLLHL。「黙っといて」は、LLLHHH。
「黙っててくれへんか」は、LLLLL HLLLL。

「してんか」は、HHHH。



この章終わり。
そして、『大阪弁ちゃらんぽらん』シリーズ、終わり。

次回より、同じく田辺聖子さんの『大阪弁おもしろ草子』シリーズとなります。



2018年6月19日 (火)

『大阪弁ちゃらんぽらん』「てんか」を読んで その6

「小春ゥ。死んだらあかんでェ」(p.226)

「でぇ」は古くさいようで古くさくない。
使ってないようで、使ってる。

聞くと古いなあとつい思うのだが、知らぬ間に使っている文末詞の1つ。
いわゆる強調なんだが、「ぞ」は書き言葉的で、「ぜ」はキザすぎる。

私はボギーではないから、キザでいられたらとは思わない。
「○○だぜ」というのは、大阪弁でないという以上に、いまだに気持ち悪さを感じる。

「いきり」ではないが、「かっこつけ」という感じ。
もちろん、もともと方言形として使う人を非難しているわけではない。

嫌なものは嫌。ピーマンやニンジンと同じような感じ。
私はどっちも好きだが。

牧村説では「ぞえ>で」なんだと(p.226)
藤田まさとさんの作詞で「情けないぞえ、道中しぐれ」があることからも、まんざら間違いではなさそうだ。

「でぇ」はいかにも大阪弁って感じだが、「て」は共通語でも広がっている。
ただ、共通語では「って」であって、「て」ではない。

いわゆる引用の「と」に近いんだが、近畿方言圏以外は促音が入るのが普通。
促音なしでは言えない人が多い。そこに大きな違いがある。

「分かってるでぇ」だと、みなまで言うな、私はあんたの言うてることよう分かってるぞという感じ。
「分かってるて」だと、それぐらい理解してるから大丈夫という感じ。

確認度合いの軽重の違いか。「て」だと、押しつけがましさはない。
示威や恫喝(p.227)のニュアンスも全くなくなる。

大阪弁で「って」を言わないわけではない。ただ、「って」の方が「て」より強調感がややある。
あるいは共通語の逆輸入か。私は両方使うのだが、違いを上手く内省できない。

共通語の「ぞ」は大阪弁では「で」、「よ」は「わ」、「ね」は「な」なんで、「さ」が「て」になるのか。
「さ」は「ぜ」よりかっこつけなので、どうも受け付けない。





「小春ゥ」のアクセントは、HHHH。
「死んだら」は、HLLL。「死ぬ」は、HH。
「あかんでェ」は、HHHHH。「あかん」は、HHH。

「情けない」は、HHHLL。
「情けないぞえ」は、HHHLLLL。
「情けないでェ」は、HHHLLLL。強調形なら、HHHLLHH。「情けないで」は、HHHLLL。
「情けないぜ」は、HHHLLL。

「分かってる」は、HHHHH。
「分かってるでェ」は、HHHHHHH。「分かってるで」は、HHHHHL。
「分かってるって」は、HHHHHHL。「分かってるってー」は、HHHHHHLL。
「分かってるて」は、HHHHHL。「分かってるてー」は、HHHHHLL。

「分かってるぞ」は、HHHHHL。「分かってるぞー」は、HHHHHLL。
「分かってるよ」は、HHHHHL。「分かってるよー」は、HHHHHLL。
「分かってるわ」は、HHHHHL。「分かってるわー」は、HHHHHHL。
「分かってるね」は、HHHHHH。「分かってるねー」は、HHHHHHL。
「分かってるな」は、HHHHHH。「分かってるなあ」は、HHHHHHL
「分かってるさ」は、HHHHHL。

ついでに、「食べてる」は、LLLH。「食べとる」は、LLHL。
「食べれるぞ」は、LLLHL。「食べとるぞ」は、LLHLL。「食べてるぞー」は、LLLHLL。「食べとるぞ」は、LLHLLL。
「食べてるでェ」は、LLLHLL。「食べとるでェ」は、LLHLLL。「食べてるで」は、LLLHL。「食べとるで」は、LLHLL。
「食べてるって」は、LLLHLL。「食べとるって」は、LLHLLL。「食べてるってー」は、LLLHLLL。「食べとるってー」は、LLHLLLL。
「食べてるて」は、LLLHL。「食べとるて」は、LLHLL。「食べてるてー」は、LLLHLL。「食べとるて」は、LLHLLL。
「食べてるぞ」は、LLLHL。「食べとるぞ」は、LLHLL。「食べてるぞー」は、LLLHLL。「食べとるぞー」は、LLHLLL。
「食べてるよ」は、LLLHL。「食べとるよ」は、LLHLL。「食べてるよー」は、LLLHLL。「食べとるよー」は、LLHLLL。
「食べてるわ」は、LLLHL。「食べとるわ」は、LLHLL。「食べてるわー」は、LLLHLL。「食べとるわ」は、LLHLLL。
「食べてるね」は、LLLLH。「食べとるね」は、LLHLL.。「食べてるねー」は、LLLLHL。「食べとるね」は、LLHLL.L。
「食べてるな」は、LLLLH。「食べとるな」は、LLHLL。「食べてるなあ」は、LLLLHL。「食べとるな」は、LLHLLL。
「食べてるさ」は、LLLHL。「食べとるさ」は、LLHLL。





その7につづく





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