2019年7月 1日 (月)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その9

前回、「ちちくる」は「乳繰る」と書いたが、どうやら違うらしい。

このあたりは、昔の方言を知らないと分からない。

 

上方には「ててくる」(p.36)があったようだが、田辺さんも知らない昔の言葉のようだ。

1928(昭和3)年生まれで知らないとなると、大正以前の近代の方言と推測できる。

 

歌舞伎『伊勢平氏栄花暦』には、「ちょよけ、まちょけ」(p.37)が出てくるようだ。

初演は1778(天明2)年なので、近世の方言ということになる。

 

ここから、「ちぇちぇくる」「ちゃちゃくる」(p.37)という言い方が、派生している。

ということで、「ちぇちぇくる>ててくる>ちちくる」という流れができあがる。

 

さて、この「ちぇちぇ」は、牧村説では雀の鳴き声の擬声語であるようだ。

「すずめ」の「すず」も雀の鳴き声と推測できるが、このつながりは今はおいておく。

 

<語源は雀などのさえずる声を模した擬声語「チェチェ」「チョチョ」「チャチャ」などを、男女が密会して私語するのをののしっていうに用い、それが転じて、密通する意味になったという>(p.38)

 

となると、「チョネチョネする」が派生語であるという田辺さんの推測は、まんざら間違っているとは思わない。

そう考えた時に、先に示した一列の変化は違うのではないかと考え始めた。

 

「ちぇちぇくる>ちちくる」という江戸での変化、「ちぇちぇくる>ててくる」という上方での変化がある。

それから、共通語化した「ちちくる」が普及。

 

それとは別に「ちぇちぇ>ちょねちょね>ちょめちょめ」という隠語の派生があったと推定する。

山城新伍の「ちょめちょめ」は、「まことちゃん」からの流れをくんでいないことは明らかである。

 

→ 『大阪弁ちゃらんぽらん』「チョネチョネ」を読んで その2

 

よって、「ちちくる」の「乳」が当て字であることが分かる。

さらに言えば、後発で雀から猫に変わった「ニャンニャンする」(p.37)という言葉が生まれたんだろう。

 

山城新伍の『アイ・アイゲーム』を見ていた世代は、ちょめちょめまでの変化を理解することができた。

そして、『夕焼けニャンニャン』を見ていたおニャン子世代には、この歴史はありがたい。

 

 

「乳」のアクセントは、LH。

 

「ちょよけ、まちょけ」は、LLH LLH。

「ちぇちぇくる」「ちゃちゃくる」「ててくる」「ちちくる」は、いずれもLLLH。

 

「ちょねちょね」「ちょめちょめ」は、HLLL。

 

「ニャンニャンする」は、HLLLLL。

 

 

 

この章終わり。

 

 

2019年6月22日 (土)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その8

本題の「ちちくる(p.35)」が、ようやく登場。「乳繰る」という漢字になるようだ。

さすがにこれは直感的に分かる。どういう動作かも。

 

私にとっては、使用語彙ではない。

理解語彙としても、普通の会話で聞いたことはない。

 

これをはじめて聞いたのは、吉田ヒロのギャグとして。

「ちちくりマンボ、ちちくりマンボ、ちちくりマンボでクーッ、パッパパラ、パッパッパラッパ、パッパッパラッパパ、キューッ」

 

まあ、よう分からんけどおもろいというタイプのギャグ。

まあ、全部が全部おもろいというわけではなかったが。

 

そもそも、ボブキャッツって、よう分からんネタの運びやったなあと。

雄大もわけわからんかった。あのネタで長続きするコンビとは、思えなかった。

 

案の定、長続きしなかった。

NSC2期生って、波乱万丈多いなあとしみじみ。

 

脱線が過ぎたので、本題に戻そう。

上方では「ててくる(p.36)」という語形があったようだ。

 

「ててくる」は、田辺さんは知らないようなので、「ちちくる」より古い語形か。

そして、『大阪弁ちゃらんぽらん』にも出てきた「チョネチョネする(p.36)」。

 

田辺さんにとっては、「ちちくる」より新しい言い方としている。

私にとっては、山城新伍の「チョメチョメ」の方が記憶に残っている。

 

→ 『大阪弁ちゃらんぽらん』「チョネチョネ」を読んで その1

→ 「元とちょめちょめと新伍」

 

これらの「ちちくる」「ててくる」「チョネチョネする」がつながっているとは。

ここでようやく気付く。音韻対応あるんやろうなと。

 

この話は次回にまわし、音韻対応とは関係ない淫靡な表現の「ちんちんかもかも(p.36)」にふれておく。

歌舞伎や人情本に出てくる古くからの言い回しであるようだ。

 

私の世代でも、すでにおっさんしか使わんなあと思っていた表現。

そして、国語辞典で調べることもなく、知らないまま今に至っている表現。

 

「ちんちん鴨の入れ首出し首」から、「鴨が首を出し入れするように、男女が一つの蒲団から首を出し入れするさまをいう」とのこと。

なんやろ、うまく想像できない。

 

私は「ちんちん」と「come on」の和洋混淆語だと思っていた。

そうなってしまうと直球過ぎるのだが。

 

そして、浄瑠璃「神霊矢口渡」には「人まぜずのちんちんこってり」。

こういうのを知ってしまうと、こってりラーメンが食べにくくなってしまう。

 

 

 

「ちちくる」のアクセントは、LLLH。

「ててくる」も、LLLH。

 

「チョネチョネする」は、HLLLLL。

 

「ちんちんかもかも」は、HHHH HLLL。

「ちんちんこってり」は、LLHL LLHL。

 

 

その9につづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年6月 9日 (日)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その7

肩車のことを「ちちくま」と呼んでいた(p.34)時代があるようだ。

乳なのか父なのか。たぶん、乳で乳車、ちちくるま>ちちくまだろう。

 

連濁というのは、まあまあ新しいものである。

近代は、辞書の見出し語が清音が主で連濁は清音の見出し語に飛ぶという指示が結構あったので。

 

肩ではなく、乳。田辺さんが淫風の感をまぬかれない(p.34)というのも分からなくはない。

膝枕を腿枕とするより、もっと生々しい。

 

『日本言語地図』では、かたくまであった。

1966~1974刊行で、被調査者は主に明治生まれ。

 

1960年ごろに60歳以上となっている人々が対象。

和歌山にはくびうま、兵庫北部ではくびぐるまなどがあるが、この地図には乳はなかった。

 

それ以外の近畿は、ほぼ全域でかたくま。

となると、ちちくまはもっと古い語形のはずである。

 

田辺さんが、1928(昭和3)年生まれ。

当時の被調査者は、30歳ぐらい上の人たち。

 

その人たちが、かたうまであったのだから、ちちうまはもっと古いという推定はあっているだろう。

明治の早い生まれの人たちが言っていたのかもしれない。

 

牧村史陽氏は「子どもを肩車にのせると、その両足が丁度乗せている者の乳のところに当る。乳車の名の起こったゆえんであろう(p.34)」と記しているが、この語源説は容易に想像できる。

 

牧村さんは1898(明治31)年生まれ。『日本言語地図』の被調査者と同世代。

だから、聞いた方言形はこの世代より上の人たちと、想像できるのである。

 

 

 

「ちちくま」のアクセントは、LLLH。

「ちちぐるま」は、LLHLL。

 

「かたくま」は、LLLH。

「かたぐるま」は、LLHLL。

 

 

 

その7につづく。

 

 

 

 

 

 

 

2019年5月 9日 (木)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その6

「あっ。あたしのつけ睫毛、どこへやったん? それで拭いてしもたんちゃう? ママ」

「どないしてくれるのん! 四千円もしたんよ、まどてんか!」(p.33)

 

「まどう」に弁償するという意味があるのは知らなかった。

ただ、これは惑うではなく、償ふである。

 

古語にあたるので、古文をほとんど読まない私にはなじみがなく、現代語としては知らないのかもしれない。

同時に年長者のいかにもという大阪弁にも長らく接していないので、しょうがない。

 

著者にとっては、「まどてんか」は「いかにも図々しく阿漕にきかれる(p.33)」という語感のようだ。

「ど」の響きが強いかららしい。

 

これは実際の場面で、音声を聞いてみないと分からない感覚である。

私はこれを読んでいて、はんなりした感じの音声を想定していたので。

 

「どないしてくれるのん!」のビックリマークで、強い怒りを感じるべきだったのか。

「弁償してーやー」より、はるかにきつい感じがするんだろうか。ぜひ、聞いてみたい。

 

また、「じゃらじゃら」についても、はじめて知った。

鍵がじゃらじゃらといった、じゃらじゃらではない。

 

「そんなじゃらじゃらした話がおますかいな(p.34)」

ばかばかしい、ふざけたという意味合いである。

 

『仮名手本忠臣蔵』七段目に<互に見合す顔と顔、それからじゃらつきだして身請の相談>とあるらしい。

著者にとっては、淫猥な語感と感じるようである。

 

これをもって、上方弁には男女の交情を暗示させるような口吻のひびきが多いと感じているようで、情緒纏綿の雰囲気を「じゃらじゃら」で片付けているとしている。私は「いちゃつく」の方が、いやらしさを感じるが。

 

淫靡あるいは下衆な方言は、各方言に備えられていると想像できる。

ただ、こういった語彙は方言暖簾に出ることはなく、学者はまともに調査しないので概要が見えない。

 

語彙は死ぬ語もあれば生まれる語もあるので、今は今でそういう表現が新たに出てきては消えを繰り返す。

知らずに生きる人になんとも思わないが、私はまだそういう好奇心は失せない。

 

うわべの上品さよりは、下衆のほうが人間らしいとまではいわないが、やはり興味は尽きない。

「ずっこんばっこん」から「ズッコンバッ婚」に派生した時は、下衆なセンスにある種の感銘を受けた。

 

 

 

 

「まどう」のアクセントは、HHH。

「まどてんか」は、HHHHH。

 

「どこへやったん」は、HHH HHLL。

「拭いてしもたんちゃう」は、HHHHLLL HH。

「どないしてくれるのん」は、HHH HHHHHLL。

「したんよ」は、HLLL。

 

「じゃらじゃら」は、HLLL。

 

「じゃらつく」は、HHHH。

「いちゃつく」は、HHHH。

 

「ズッコンバッコン」は、LLHH LLHH。

「ズッコンバッ婚」は、LLLLHHLL。

 

 

 

その7につづく。

 

 

 

 

 

2019年4月22日 (月)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その5

「てかけ(p.32)」というのは、今さらながらすごい直接的やなと。

「めかけ」の「目をかける」をこえて、「手をかける」からなので。

 

「そばめ(p.32)」は知らない語彙であったが、これはそばに置く女ということだろう。

そばというのが、時代がかっている。側室感が強く、そばに置くというのは、今どきありえない関係であろう。

 

著者は、「てかけ」に対する「厚顔さを憎む(p.32)」に対して、「そばめ」に対する「べつに引っかからない(p.32)」という所感である。

直接的ではないからか、時代小説で慣れてしまっているからか。

 

目をかけてそばに置き、手をかけるが、妥当な順番なのか。

あるいは、目をかけて手をかけたから、そばに置いたのか。

 

女性に対するこういう語彙は、今の時代ではどんどん使えなくなる。

でも、辞典に残さなければ、過去の話は分からなくなる。

 

使用語彙でなくても、理解語彙であればいい。

昔の話を読むためには、こういう語彙も知っておく必要はある。

 

『大阪弁ちゃらんぽらん』の時にも出てきた、妊婦を「ぼてれん(p.33)」というのもそう。

擬態語からのストレートな表現。語形成としては自然なので、言語学的観点からは受け入れざるを得ない。

 

私の子供のころには、「ぼてれん」は使わず、「はらぼて」だった。

昭和50年代では、ごく普通に使っていた。私の中ではいつの間にか使わなくなっていた。

 

今の大阪で使われているかどうかは、20年以上離れているので実態は知らない。

まあ、公の場で使われていないのは昔からそうなので、若者にとってはきっと死語だろう。

 

 

 

「てかけ」のアクセントは、LLH(~HHH)。

「めかけ」は、HHH。

「そばめ」は、LLH。

 

「ぼてれん」は、LLHH。

「はらぼて」は、LLLH。

 

その6につづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年4月 2日 (火)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その4

「げんくそ悪い(p.31)」は、「げんをかつぐ」の「げん」なんだろうが、使わない。

「げんが悪い」「げんがええ」も、私の中では、理解表現ではあるが、使用表現ではない。

 

「げん直し」は、使おうと思えば使えるという程度か。

周りが大阪弁で、ある程度の年齢の人たちであれば、口から出てくるかもしれない。

 

ただ、大人の付き合いで出てくる言葉で、子ども相手にいう言葉じゃない気がする。

また、これは大阪弁に特化している気がしない。大辞林の見出し語にあるし、特に方言と書かれていないし。

 

世界大百科事典だと、漁師用語となっている。

大阪発のことばではないというのがあっている気がしてならない。

 

「げん」は「縁起」の音位反転という説があるが、概ねあっている気がする。

「宿」から「ドヤ」、「はまぐり」から「ぐれはま」で「ぐれる」といったようなものだろう。

 

「縁起もんや」の意味での「げんのもんや(p.31)」も使ってないし、もらってない。

だるまも招き猫もうちにはなく、節句もちゃんと流行ってないし。

 

えべっさんは、大阪を離れてからすっかりご無沙汰やし。

福笹でもうちに置いとこうか。ただ、商売っ気がない私に、商売繁盛は縁がないような気がする。

 

 

「げん」のアクセントは、LH。

「げんくそ悪い」は、LLLH HLL。

「げんをかつぐ」は、LLH HHH。

「げんが悪い」は、LLH HLL。

「げんがええ」は、LLH LH。

「げん直し」は、LLHLL。

「げんのもん」は、LLLHL。

 

「宿」は、LH。「ドヤ」は、LH。

「はまぐり」は、LHLL。「ぐれはま」は、LLLH。「ぐれる」は、LLH。

 

「縁起」は、LLH。「縁起もん」は、LLLLH。

「えべっさん」は、HHHHH。「福笹」は、LLHH。

 

 

その5につづく。

 

2019年3月30日 (土)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その3

全くもって個人的な問題なのですが、ココログの仕様が変わってちょっといらいらしています。

なかなかなじめなかった結果、更新がものすごく遅くなってしまったことをお詫び申し上げます。

 

 

「インケツや(p.30)」という言い方は、じゃりン子チエで覚えた。

オイチョカブで、手札の数の合計が1だと一番弱いので、イチ+ケツからできたのだろう。

 

普段はオイチョカブとは言わず、カブと言ってるが、株式と間違われるとまずいので、あえてそう書いた。

亡くなった祖父に、子どもの頃に教わったので、一応のやり方は知っている。

 

ただ、花札でできる域には達していない。花札の絵札が何月なのかを覚えていなければできないので。

どうもこの手の暗記は全般的に苦手である。だから、基本的には株札、ない時はトランプを使っていた。

 

さて、カブは、2枚あるいは3枚の札の合計の下1桁で勝負が決まる。

よって、0~9までの10通りとなる。

 

この呼び方にも方言はあるのだろう。自身の内省では以下の通りである。

0:ブタ、1:インケツ、2:ニタコ、3:サンタ(コ)、4:シニ、5:ゴケ、6:ロッポ、7:ナキ、8:チョウベエ、9:カブ。

 

あとは、9と1ならクッピン、4と1ならシッピンという役がある。

教わったこと以外特に勉強していないので、その他の役はよく知らない。

 

私の中では、クッピンは親のみ、シッピンは親子ともにという役。よって、親のクッピンが最強。

ブタは最弱ではなく、勝負から降りれる手。これも四六のみというのが多いようだが、私は何でもありでやっていた。

 

だから、インケツが最弱。

そうでなければ、ケツという言い方がおかしくなってしまう。

 

さて、日常会話で「インケツや」を使うかどうかだが、使ったことはない。

使ったとしても、テツのモノマネだろう。

 

麻雀や競馬については、日常用語に用いられているのはそこそこあるが、カブは定着しにくいか。

ギャンブルというより賭博という印象が大きいから避けているような気がする。

 

 

 

「インケツ」のアクセントは、HLLL。

「ニタコ」は、LLH。「サンタ」は、HHH。「サンタコ」なら、LLLH。

「シニ」は、HH。「ゴケ」は、LH。「ロッポ」は、LLH。

「ナキ」は、HH。「チョウベエ」は、HLLL。長音なしの「チョウベ」は使わないが、HLL。

「カブ」は、HH。「ブタ」は、LH。

 

「クッピン」は、HHHH。「シッピン」は、HHHH。

「四六(シロク)のブタ」は、LLLH LH。

 

「オイチョ」も使わないが、HHH。「オイチョカブ」は、HHHLL。

 

「ケツ」は、HL。「イチ(1)」は、HL。

 

「じゃりン子チエ」は、HHHHHL。

「チエちゃん」は、LHLL(~HLLL)。これは映画版でも、声優によってゆれがある。

「テツ」は、LH。

 

 

 

その4につづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年2月18日 (月)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その2

田辺さんにとっては、「ポチ」は耳障りな言葉であるらしい。
私にとっては、全く耳障りではない。

ここでいう「ポチ」は、小さい点のことでも犬の名前でもない。
また、ボタンを押す時の擬音語ポチッとなでもなければ、派生形のポチるでもない。

「ポチ」は、心付や祝儀のことを指す。
よって、お年玉を入れる袋を「ポチ袋」と呼んでいる。

かつては、大阪から東京に進出した百貨店が、新聞広告に「ポチ袋いろいろ」と書いて伝わらなかったようだ(p.30)。
今では十分共通語のように思えるけど、自身で確認したことはない。

正月に会う子供はほとんどいないため、ポチ袋を準備したことがない。
大阪の家に行けば置いてくれているので、いつもそれをもらっている。

もはや、この歳でポチ袋をもらうことはなく、渡す一方である。
チップをもらえるような仕事をしてないし、もらえるとしたら祝儀袋だろうから。

ポチ袋は小さい祝儀袋。「これっぽっち」の「ぽっち」から来ているのではなかろうか。
もともとは「これっぽち」だったのかもしれない。

そういう意味では、この程度しか渡せませんがという美徳を感じる。
だから、ポチ袋の中身が少なくても文句を言ってはいけない。





「ポチ」のアクセントは、HL。
「ポチ袋」は、LLHLL。

「これっぽっち」は、HHHHHL。
「これっぽち」なら、HHHHL。




その3につづく。




2019年1月28日 (月)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その1

ちちくる ―上方弁の淫風 pp.23-39

 

 

野菜などの食べもんに「お」をつける話は、以前にも書いた。

 

私の内省で使うものと使わないものがある。大阪弁として言うかどうかではなく、私が言うかどうかの話。

 

 

 

 

 

 

 

大根の「おだい」や菜っ葉の「お菜さん」は私は使わない。

 

豆を「豆さん」とは言いにくく、「お豆」なら言える。「お豆さん」が言えるのは、フジッコの影響かもしれない。

 

 

 

かき餅の「おかき」は言えるけど、饅頭の「おまん」は言わない。餅の「おもち」は言える。

 

汁の「おつゆ」は言える。味噌汁も「おしる」。「お味噌のおつゆ」は冗長過ぎて言わない。

 

 

 

粥は「おかいさん」も「おかい」も言える。雑炊の「おみい」は言わない。

 

油揚げは「おあげさん」「あげさん」とは言うが、「おあげ」は言わない。

 

 

 

芋が「おいも」、なすびが「おなす」はそれぞれ言える。

 

じゃがいもでも、さつまいもでも、さといもでも「おいも」。山芋はさすがに「おいも」ではない。

 

 

 

野菜は他に思いつかない。本文p.24にもあるように、きゅうりを「おきゅう」、ごぼうを「ごぼうさん」とは言わない。

 

「にんじんさん」「さんしょうさん」「しいたけさん」「ごぼうさん」「れんこんさん」だと『おべんとうばこのうた』になってしまう。

 

 

 

しかし、地味な弁当である。茶色ベースの弁当って、昔のおばあちゃんというイメージがぬぐえない。

 

最近は、山椒がさくらんぼになったようである。それはそれで、バランスが悪い。

 

 

 

閑話休題。キャベツやレタスやトマトは外来語だから、「お」も「さん」も違和感あり。

 

「おレタス」なんてのを聞いてしまうと、喜劇に出てくる貴婦人のように感じる。

 

 

 

南瓜(かぼちゃ)やほうれん草は、漢語だからやはり「お」や「さん」には違和感がある。

 

「おなんきん」や「おほうれんそう」は長すぎて語呂が悪い。「お白菜」も、かなり変な感じ。

 

 

 

かぶを「おかぶ」、たまねぎを「おたま」とは言わない。

 

「おたまねぎ」は無理だが、ねぎの「おねぎ」は言える。

 

 

 

漬物の「おこうこ」も私は言わない。「香々」の縮まった形だが、使わない。

 

単純に「つけもん」というか、洒落たとこでは「香の物」。「おこう」だと、焚くものになってしまう。

 

 

 

豆腐の「おとうふ」は普通に言えるが、「おとふゥ」にはならない。

 

「サンザカ>サザンカ」のような音位転換は、私の内省では起こさない。

 

 

 



 

 

 



「ちちくる」のアクセントは、HHHL。

 

 

 

「大根」は、HLLL。「おだい」はよく分からないが、私が発するとすれば、LHL。

 

「菜っ葉」は、LLH。「お菜さん」は、LHLL。

 

 

 

「豆」は、LH。「お豆」は、LHL。

 

「豆さん」は、LHLL。「お豆さん」は、LHLLL。

 

 

 

「かき餅」は、LHLL。「おかき」は、LHL。

 

「饅頭」は、HLLL。「おまん」は、LHL。

 

「餅」は、HH。「おもち」は、LLH。

 

 

 

「粥」は、LH。「おかいさん」は、LLLLH。「おかい」は、LLH。

 

「雑炊」は、LLLH。「おみい」は、LHH。

 

「油揚げ」は、HHHLL。「おあげさん」は、LLLLH。

 

「あげさん」は、HHHH。「おあげ」は、LLH。

 

 

 

「芋」は、HL。「おいも」は、LLH。

 

「じゃがいも」は、LLLH。「さつまいも」は、HHHLL。「さといも」は、HHHH。「山芋」は、HHHH。

 

 

 

「なす」は、HL。「なすび」は、LHL。「おなす」は、LHL。

 

「きゅうり」は、HLL。「おきゅう」と言うなら、LLH。

 

「ごぼう」は、HHH。「ごぼうさん」は、HHHHH。

 

 

 

「にんじん」は、LLLH。「にんじんさん」は、LLLLLH。

 

「山椒」は、HHH。「さんしょう」は、HHHH。「さんしょうさん」は、HHHHHH。

 

「しいたけ」は、HLLL。「しいたけさん」は、HLLLLL。

 

「れんこん」は、HHHH。「れんこんさん」は、HHHHHH。

 

 

 

「さくらんぼ」は、LLHLL.。

 

 

 

「キャベツ」は、HLL。「レタス」は、HLL。「トマト」は、LHL。「おレタス」なら、LHLL。

 

「なんきん」は、HHHL。「かぼちゃ」は、HHH。「ほうれんそう」は、HHHHHH。

 

「おなんきん」なら、LHLLL。「おほうれんそう」は、LHHHHHH。

 

「白菜」は、HLLL。「お白菜」なら、LHLLL。

 

 

 

「かぶ」は、HH。「おかぶ」は、LLH。

 

「たまねぎ」は、LLHL。「おたま」は、LHL。「おたまねぎ」は、LLLHL。

 

「ねぎ」は、LH。「おねぎ」は、LHL。

 

 

 

「つけもの(つけもん)」は、LLLH。「おこうこ」は、LLLH。

 

「香々」は、LLLH。「香の物」は、LLLHL。「おこう」は、LLH。

 

 

 

「豆腐」は、LLH。「お豆腐」は、LLLH。「おとふゥ」は、LLLH。

 



 

 

 

その2につづく。

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年1月 6日 (日)

『大阪弁おもしろ草子』「よういわんわ」を読んで 補遺

「よういわんわ」の話は、尾上圭介『大阪ことば学』(1999、創元社)にもとりあげられている。
ここでの記述に対して、私の内省では若干変わってくるので、所感を示しておくことにする。

「よう行かん」が能力不可能、「行かれへん」が状況不可能という区分に、基本的には同意する。
ただ、私の内省では、後者はどちらにでも使えるようになっている。

p.87の例で考えてみると、「そんなこと、よう行かんわ」は、「そんな遠いとこへ呼びつけるなや。行けるかいな。」という状況不可能では使えず、「行かれへんわ」の方が自然である。

「自分の体力、気力が足りなくて行けない」という能力不可能では、「よう行かん」でも「行かれへん」でも、どっちでもいい。
ただ、この場合、「よう行かん」はかなりしんどい時である。

ついで、p.91からについてだが、「よう」の否定形として「よう行かん」「よう行かへん」「よう行けへん」の3つがあるという。
私は、「行かん」「行かへん」「行けへん」はそれぞれ単独なら使える。

しかし、「よう」の後という条件では、「行かへん」は若干違和感あり、「行けへん」はかなり違和感がある。
また、私にとって「よう行かへん」「よう行けへん」は使用語彙ではない。

「行かん」と「行かへん」には、動作主の人称の違いがあるという。
前者はどの人称でも使えるが、後者は2,3人称でしか使えず、1人称では使われないとのこと。

私の内省では、「あいつ、よう行かへん」は、理解語彙としては若干の違和感がある。
使用語彙としては、「行かれへん」の方が自然である。

そして、この人称の区別は若い人の間ではくずれているようで(p.93)、昭和20年代後半生まれから30年代前半生まれまでの世代で変化があったとのこと。この著書での若い人に私は該当している。

それでも、私は使わない。「ぼく、よう行かへん」は、自分で使うとなると、結構気持ち悪い。
「ぼく、よう行けへん」だと、大阪弁じゃない気がしてくる。



「よう行かん」のアクセントは、HH HHH。
「行かれへん」は、HHHLL。
「行かへん」「行けへん」は、共にHLLL。



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