2019年10月12日 (土)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その6

「やっぱりいくのんかいな」

「ふん、いくわ」 (p.45)

 

「かいな」「いくわ」に性差がないというのは、今でもそうなんだろうか。

「かいな」は、「そんな古い言い方せんわ」っていう若い世代が増えてきている気がする。

 

「いくわ」の「わ」が、近畿圏以外には女言葉に見えるのだろうか。

第三者的に見れないので、このあたりは感覚としてよく分からない。

 

「嫌やわ」の「わ」とはかなり違って、男も女も普通に言う。

おそらく若い世代も先述のように「わ」を使うだろう。

 

「そんなこと言うたらあかんわ」

「そんなこと言うたらあかんで」(p.46)

 

「あかんわ」は軽く注意してるけど、まあしゃあないわなあって感じ。

「あかんで」はやや強めに注意しており、とりあえずやめとけって感じ。

 

「わい」は「わ」を強めた(p.46)ものだが、先の文で「あかんわい」とは言わない。

だから、この禁止の文脈では、「わい」は使えない。

 

「そないぐだぐだぬかすんなら、もう知らんわい!」(p.46)

 

「知らんわ」「知らんわい」ともに、これ以上相手にする気はないという意味で、両者は程度差である。

この場合に「で」と使うと逆に笑えるぐらい軽い。投げやり気味に相手にしないという程度に落ちる。

 

「わい」の度合いを強めると「じゃい」になる(p.47)とあるが、これはさすがに無理がある。

「じゃい」は「じゃ」「や」を強めたもので、「わい」とは系列が異なる。

 

「*もう知らんじゃい」とはさすがに言えない。

「じゃ」は「だ」の卑罵形なので、罵倒の強めという意味だけで「わい」と同じように語るには無理がある。

 

「なにするんじゃい」がパッと思いつく表現。

理屈上は、「これはペンじゃい」とは言えるけど、私の感覚にはない。

 

私の中で、「じゃい」は既に理解表現で、使用表現ではなくなっている。

「じゃいなんか言わんわ」ていう程度である。

 

 

 

 

「やっぱりいくのんかいな」のアクセントは、LLHL HHLLLLL。

「ふん、いくわ」は、HL HHL。

 

「そんな古い言い方せんわ」は、HHH HLL HHHH HHL。

 

「嫌やわ」は、HLLL。

 

「そんなこと言うたらあかんわ」は、HHH HL HLLL HHHL。

「あかんで」は、HHHL。

 

「そないぐだぐだぬかすんなら」は、HHH HLLL HHHLLL。

「もう知らんわい」は、HH HHHLL。

「知らんわ」は、HHHL。

 

「なにするんじゃい」は、LL HHLLL。

「これはペンじゃい」は、HHH HLLL。

 

「じゃいなんか言わんわ」は、HLLLL HHHL。

 

 

 

その7につづく。

 

2019年9月30日 (月)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その5

「行きはりますか」

「いま、見てはる」

「言わはる通りします」(p.44)

 

「はる」という敬語の接辞は便利である。

「れる」や「いらっしゃる」「ご覧になる」「おっしゃる」より、仰々しさがなく、親しい敬語と言える。

 

若い世代には、廃れつつあるかもしれない。

私の世代でも、少し古いかなとは思っているので。

 

でも、全く使わないわけではない。

一方で使われる世代にはなっているが、私が若い世代から言ってもらえることはないような気がする。

 

 

 

「行きはりますか」のアクセントは、HHHHHHH。

「いま、見てはる」は、LH HHHH。

「言わはる通りします」は、HHHH HLL HHH。

 

「いらっしゃる」は、HHHHH。

「ご覧になる」は、HHHH LH。

「おっしゃる」は、HHHH。

 

 

その6につづく

 

 

 

 

 

2019年9月 4日 (水)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その4

「やな」が男言葉で、「やわ」が女言葉。(p.43)

このあたりは、性差を超えてしまっているような気がする。

 

私の内省では、「やわ」を使う頻度は少ないとは思うが、使っていないとは言い切れない。

女性が「やな」を使っても、違和感はない。

 

「そやな」「そやわ」やったら、私は前者を使う頻度が圧倒的に多いと思える。

「元気そうやな」「元気そうやわ」やったら、差はあるだろうけど両方とも言ってるように思える。

 

「そやな」は確認の意味で使っている。時に相手に返答を促すこともある。

それに対して、「そやわ」は、そういえばそうという感じで、はっと気づいた時に使っている気がする。

 

だから、男女差というよりはモダリティーという話者がどういう心的態度で物を述べているかの違いである。

「そやわ」より「そやな」の方が、当人にとって自信があると思っている。

 

「やな」が、目上や親しくない人には失礼に当る(p.44)というのは素直に首肯できる。

方言むき出しで待遇表現を使うのは、なかなか難しい。

 

「でっせ」「だっせ」「だす」は、田辺さんの世代を境に死語のようだ。(p.44)

当然、私の世代でも使う人はいなかったはずである。

 

冗談めいたしゃべり以外で、聞く機会はほとんどなかった。

吉本が昔作ったディスコ「デッセ・ジェニー」は、さんまさんによる「銭でっせ」を引っくり返した命名だが、「でっせ」がやはり古くさい。

 

「だす」に至っては、芦屋雁之助さんの「わてが雁之助だす」ぐらいしか出てこない。

「だす+ねん>だんねん」による「わてが雁之助だんねん」は、太平シローさんのモノマネの方が記憶にこびりついている。

 

 

 

「そやな」のアクセントは、HL↑。(語末をイントネーションで少し強調する)

「そやわ」は、HLL。

 

「元気そうやな」は、HHHHLL↑。(語末をイントネーションで少し強調する)

「元気そうやわ」は、HHHHLLL。

 

「わて」は、LH。

「わてが」は、LLH。

 

「銭」は、LH。

「銭でっせ」は、LLHLL。

「デッセジェニー」は、LLLHLL。

 

「雁之助」は、LLLLH。

「雁之助だす」は、LLLLLLH。

「雁之助だんねん」は、LLLLLLHLL・

 

 

その5につづく。

 

 

 

 

 

2019年8月25日 (日)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その3

「お医者さんはもうアカン、言わはったんやそうやけど、何や知らん間ァに持ち直したんや」(p.42)

 

接続助詞やら間投助詞やら終助詞やら。

大阪弁では、確かに「や」をよく使う。

 

「だ」と同様に「や」の後にもさらに終助詞はつく。

「やんか」「やわ」「やな」、「やろ」「やろな」(pp.42-43)などなど。

 

「やんか」はやや品下れる言いざまであるが、威勢がよい女言葉である。(p.43)

「誰がそんなこというてん」

「あの子やんか!」(p.43)

 

男も使ってる気はするけど、どっちかといえば女言葉やなと今さらながら。

「あの子ではないか」でも「あの子じゃないか」でも、しっくりこない、共通語に訳しにくい表現である。

 

子どものころに何か咎め立てされると、

「知らんやんかいさ! ウチ!」

などと言い返し、何と下品なと母にチメチメされるたぐいの言葉であったのだ。(p.43)

 

こうなると、女の子っぽい。なんか愛嬌がある。

「私、知らないから」では、この愛嬌は出てこない。

 

「やんけ」やと男になるけど、河内っぽい。

ミス花子は名前でだまされるが男なので、河内のオッサンの唄はしっくりくる。

 

 

 

「お医者さん」のアクセントは、LLLLH~LLLHH。

「お医者さんは」は、LLLLLH。

 

「もうアカン」は、HH HHH。

 

「言わはった」は、HHHHL。

「言わはったん」は、HHHHLL。

「言わはったんや」は、HHHHLLL。

 

「そうやけど」は、HLLLL。

 

「なんや」は、LHL。

「知らん」は、HHH。

「知らん間ァ」は、HHH HH。

「知らん間ァに」は、HHH HHH。

 

「持ち直した」は、LLHLLL。

「持ち直したんや」は、LLHLLLLL。

 

「誰が」は、HHH。

「そんなこと」は、HHH HL。

「いうてん」は、HHLL。

 

「あの子」は、HH H

「あの子やんか」は、HHHLLL。

 

「知らんやんかいさ」は、HHHLLLLL。

「ウチ」は、LH。

 

 

その4につづく。

 

 

 

 

 

 

 

2019年8月 4日 (日)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その2

かつて大阪弁が嫌われ、大阪でもそこから抜け出そうとしていた人たちがいた。

大阪偏重主義があれば、大阪脱却主義があってもおかしくない。

 

祖父母や父などはそんなことに関係なく「そうでっか」「知りまへん」などとやっていたが、私の母は岡山から大阪へ嫁に来た者で、かつ小学校の先生の経験もあったから、若いインテリ(と自負している)心に、標準語を上等のように思ったのであろう、子供の私が、「そうやしィ」「あかんしィ」などというと、下品な言葉を使う、と叱られた。(pp.40-41)

 

小学校の先生が規範的なのは仕方がない。

いわゆる正しい日本語を教えなければならないので、過剰な意識を持っている。

 

ただ、岡山という地域性を考えると、まったくもって方言むき出しの地域である。

私は望ましい姿だと思っている。そして、下品と言われる筋合いはない。

 

岡山を叩いているわけではない。岡山には4年住んだので。

地元民が岡山弁を汚いということがあったが、ことばにきれいも汚いもない。

 

そこにあるのは、人間の美醜だけである。

もちろん顔の話ではない。

 

父の若い弟妹、私の叔父叔母たちも精いっぱい、東京風のコトバを使おうと気取っていたが、どうやっても追っ払えないのが語尾変化であった。もちろんアクセントやイントネーションはよけい変えにくいが、大阪弁の語尾を東京風にするというのは、むつかしい以上に、首をくくりたくなるような恥ずかしさがある。お芝居のセリフをしゃべらされているようになり、言葉の生命力が失われてしまう。(p.41)

 

首をくくりたくなるような恥ずかしさというのは、秀逸なたとえだと思う。

言葉の生命力という表現よりも、腹の底から嫌いなんじゃという思いが伝わってくる。

 

虫唾が走るほど、嫌っていない。むずがゆくなるほど、生理的に受け付けないわけでもない。

ただただ、そんな気取ったコトバを使うのはこっぱずかしいという、正直な感想であると推察する。

 

京阪アクセント圏出身者が、俳優やアイドルになった時には、共通語に矯正され、二方言話者となる。

大阪弁むき出しのままでは、映画でもドラマでも使いにくいからであろう。

 

また、東京に出れば、周りのほとんどが共通語でしゃべっているので、耳から学ぶことができる。

大阪でテレビやラジオで聞くだけでは、なかなかうまくいくものではない。

 

私みたいにほぼ合わせる気がないものにとっては、話し言葉としての共通語は無用の産物である。

もちろん、使用語彙としての話で、理解語彙としては共通語は役に立つ。

 

だから、理解はしても使う気はない。

それでも、東京ではよそいきの大阪弁をしゃべっているので、そこそこあわせようとはしている。

 

祖父がついに、「じゃらじゃらした快っ態(けったい)なコトバ使うもんやない!」と一喝してわが家の言語近代化運動、方言矯正運動は立ち消えになってしまった。(p.41)[注]

 

私は寺内貫太郎一家は嫌いだったが、こういう内容なら祖父の一喝は、むしろ望ましい。

これがハラスメントになるようでは、あまりに世の中世知辛い。

 

 

「そうでっか」のアクセントは、HHHHH。

「知りまへん」は、HHHHH。

 

「そうやしィ」は、HLL+R。

「あかんしィ」は、HHH+R。

 

「じゃらじゃらした」は、HLLLLL(~HLLL+HL)

「けったいな」は、HHLLL。

「コトバ」は、HLL。

「使う」は、HHH。

「使うもんやない」は、HHHHLL LH。

 

 

 

その3につづく

 

 

 

 

 

[注]

「けったい」は、規範的な日本語だと「卦体(けたい)」の促音化として、この漢字が当てられる。

語源の真偽はさておき、それはそれで。

 

ただ、田辺さんの意図としては、「快っ態」の方が実態に近いと捉えている。

私も素直に首肯できる。まあ、公文書で「けったいな」は使われることはないので、むしろ「快っ態」を広めたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年7月28日 (日)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その1

そやないかいな ―語尾と助詞 pp.40-56

 

明治政府が唱導強制した標準語・共通語はいち早く上方にも広まって、私などが小学生のころ(昭和10年代はじめ)は、もう大阪弁を使うのは品がわるく無学なあかしのように思う気風が、大阪の若いインテリの間にあったように思う。(p.40)

 

戦前・戦中かけての昭和10年代以前に生まれた東京人は、かなり大阪弁が嫌いだったように思える。

東京に住み始めて、赤ちょうちんでその年代からは大阪弁は嫌いだとよく言われた。

 

なじみになれば、お前はいいけどとなる。

自身と違うものへの生理的に合わない感か、食わず嫌いなのか。

 

同年代の関東出身者に話すと、この話は理解できない人が多い。

昭和40年代以降は、漫才ブームのおかげというかなんというか、大阪弁への抵抗が薄れていたからである。

 

そして、20~30代の頃から、自身の家族や親族以外の老年層と話す機会は少ない。

当時定年に近い上司ともその手の雑談まではあまりしないだろう。

 

団塊の世代は、徹底的に嫌いというのが減ってきていたと思われる。

それでも、必ずしも好かれているわけではない。

 

今でも全面的に好意的に受け入れられているとは思わない。

だいぶ前に、私より若干下の世代が、そば屋で大阪弁の悪口を死ぬほど行っていたので。

 

近所のそば屋だとさすがにそういうことはないが、オフィス街だったので立派な会社員なんだろう。

まあ、好みの発言は、私的空間では好きにやってくれればいいので。

 

そして、そういう店に大阪出身者がいるとも予測していなかったのだろう。

大阪人はそば食わずに、うどん食っとけというステレオタイプが、まだ生きているのか。

 

黙って聞いていても良かったのだが、注文前だったので、店員さんを呼ばざるを得ない。

「すんませーーん」 すぐに黙ったのは言うまでもない。

 

 

 

「すんません」のアクセントは、LLLLH。

「すんませーん」は、LLLHHH。語末の長音での語尾上がりは、音節単位で高になる。

 

 

 

その2につづく

 

 

 

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2019年7月 1日 (月)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その9

前回、「ちちくる」は「乳繰る」と書いたが、どうやら違うらしい。

このあたりは、昔の方言を知らないと分からない。

 

上方には「ててくる」(p.36)があったようだが、田辺さんも知らない昔の言葉のようだ。

1928(昭和3)年生まれで知らないとなると、大正以前の近代の方言と推測できる。

 

歌舞伎『伊勢平氏栄花暦』には、「ちょよけ、まちょけ」(p.37)が出てくるようだ。

初演は1778(天明2)年なので、近世の方言ということになる。

 

ここから、「ちぇちぇくる」「ちゃちゃくる」(p.37)という言い方が、派生している。

ということで、「ちぇちぇくる>ててくる>ちちくる」という流れができあがる。

 

さて、この「ちぇちぇ」は、牧村説では雀の鳴き声の擬声語であるようだ。

「すずめ」の「すず」も雀の鳴き声と推測できるが、このつながりは今はおいておく。

 

<語源は雀などのさえずる声を模した擬声語「チェチェ」「チョチョ」「チャチャ」などを、男女が密会して私語するのをののしっていうに用い、それが転じて、密通する意味になったという>(p.38)

 

となると、「チョネチョネする」が派生語であるという田辺さんの推測は、まんざら間違っているとは思わない。

そう考えた時に、先に示した一列の変化は違うのではないかと考え始めた。

 

「ちぇちぇくる>ちちくる」という江戸での変化、「ちぇちぇくる>ててくる」という上方での変化がある。

それから、共通語化した「ちちくる」が普及。

 

それとは別に「ちぇちぇ>ちょねちょね>ちょめちょめ」という隠語の派生があったと推定する。

山城新伍の「ちょめちょめ」は、「まことちゃん」からの流れをくんでいないことは明らかである。

 

→ 『大阪弁ちゃらんぽらん』「チョネチョネ」を読んで その2

 

よって、「ちちくる」の「乳」が当て字であることが分かる。

さらに言えば、後発で雀から猫に変わった「ニャンニャンする」(p.37)という言葉が生まれたんだろう。

 

山城新伍の『アイ・アイゲーム』を見ていた世代は、ちょめちょめまでの変化を理解することができた。

そして、『夕焼けニャンニャン』を見ていたおニャン子世代には、この歴史はありがたい。

 

 

「乳」のアクセントは、LH。

 

「ちょよけ、まちょけ」は、LLH LLH。

「ちぇちぇくる」「ちゃちゃくる」「ててくる」「ちちくる」は、いずれもLLLH。

 

「ちょねちょね」「ちょめちょめ」は、HLLL。

 

「ニャンニャンする」は、HLLLLL。

 

 

 

この章終わり。

 

 

2019年6月22日 (土)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その8

本題の「ちちくる(p.35)」が、ようやく登場。「乳繰る」という漢字になるようだ。

さすがにこれは直感的に分かる。どういう動作かも。

 

私にとっては、使用語彙ではない。

理解語彙としても、普通の会話で聞いたことはない。

 

これをはじめて聞いたのは、吉田ヒロのギャグとして。

「ちちくりマンボ、ちちくりマンボ、ちちくりマンボでクーッ、パッパパラ、パッパッパラッパ、パッパッパラッパパ、キューッ」

 

まあ、よう分からんけどおもろいというタイプのギャグ。

まあ、全部が全部おもろいというわけではなかったが。

 

そもそも、ボブキャッツって、よう分からんネタの運びやったなあと。

雄大もわけわからんかった。あのネタで長続きするコンビとは、思えなかった。

 

案の定、長続きしなかった。

NSC2期生って、波乱万丈多いなあとしみじみ。

 

脱線が過ぎたので、本題に戻そう。

上方では「ててくる(p.36)」という語形があったようだ。

 

「ててくる」は、田辺さんは知らないようなので、「ちちくる」より古い語形か。

そして、『大阪弁ちゃらんぽらん』にも出てきた「チョネチョネする(p.36)」。

 

田辺さんにとっては、「ちちくる」より新しい言い方としている。

私にとっては、山城新伍の「チョメチョメ」の方が記憶に残っている。

 

→ 『大阪弁ちゃらんぽらん』「チョネチョネ」を読んで その1

→ 「元とちょめちょめと新伍」

 

これらの「ちちくる」「ててくる」「チョネチョネする」がつながっているとは。

ここでようやく気付く。音韻対応あるんやろうなと。

 

この話は次回にまわし、音韻対応とは関係ない淫靡な表現の「ちんちんかもかも(p.36)」にふれておく。

歌舞伎や人情本に出てくる古くからの言い回しであるようだ。

 

私の世代でも、すでにおっさんしか使わんなあと思っていた表現。

そして、国語辞典で調べることもなく、知らないまま今に至っている表現。

 

「ちんちん鴨の入れ首出し首」から、「鴨が首を出し入れするように、男女が一つの蒲団から首を出し入れするさまをいう」とのこと。

なんやろ、うまく想像できない。

 

私は「ちんちん」と「come on」の和洋混淆語だと思っていた。

そうなってしまうと直球過ぎるのだが。

 

そして、浄瑠璃「神霊矢口渡」には「人まぜずのちんちんこってり」。

こういうのを知ってしまうと、こってりラーメンが食べにくくなってしまう。

 

 

 

「ちちくる」のアクセントは、LLLH。

「ててくる」も、LLLH。

 

「チョネチョネする」は、HLLLLL。

 

「ちんちんかもかも」は、HHHH HLLL。

「ちんちんこってり」は、LLHL LLHL。

 

 

その9につづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年6月 9日 (日)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その7

肩車のことを「ちちくま」と呼んでいた(p.34)時代があるようだ。

乳なのか父なのか。たぶん、乳で乳車、ちちくるま>ちちくまだろう。

 

連濁というのは、まあまあ新しいものである。

近代は、辞書の見出し語が清音が主で連濁は清音の見出し語に飛ぶという指示が結構あったので。

 

肩ではなく、乳。田辺さんが淫風の感をまぬかれない(p.34)というのも分からなくはない。

膝枕を腿枕とするより、もっと生々しい。

 

『日本言語地図』では、かたくまであった。

1966~1974刊行で、被調査者は主に明治生まれ。

 

1960年ごろに60歳以上となっている人々が対象。

和歌山にはくびうま、兵庫北部ではくびぐるまなどがあるが、この地図には乳はなかった。

 

それ以外の近畿は、ほぼ全域でかたくま。

となると、ちちくまはもっと古い語形のはずである。

 

田辺さんが、1928(昭和3)年生まれ。

当時の被調査者は、30歳ぐらい上の人たち。

 

その人たちが、かたうまであったのだから、ちちうまはもっと古いという推定はあっているだろう。

明治の早い生まれの人たちが言っていたのかもしれない。

 

牧村史陽氏は「子どもを肩車にのせると、その両足が丁度乗せている者の乳のところに当る。乳車の名の起こったゆえんであろう(p.34)」と記しているが、この語源説は容易に想像できる。

 

牧村さんは1898(明治31)年生まれ。『日本言語地図』の被調査者と同世代。

だから、聞いた方言形はこの世代より上の人たちと、想像できるのである。

 

 

 

「ちちくま」のアクセントは、LLLH。

「ちちぐるま」は、LLHLL。

 

「かたくま」は、LLLH。

「かたぐるま」は、LLHLL。

 

 

 

その7につづく。

 

 

 

 

 

 

 

2019年5月 9日 (木)

『大阪弁おもしろ草子』「ちちくる」を読んで その6

「あっ。あたしのつけ睫毛、どこへやったん? それで拭いてしもたんちゃう? ママ」

「どないしてくれるのん! 四千円もしたんよ、まどてんか!」(p.33)

 

「まどう」に弁償するという意味があるのは知らなかった。

ただ、これは惑うではなく、償ふである。

 

古語にあたるので、古文をほとんど読まない私にはなじみがなく、現代語としては知らないのかもしれない。

同時に年長者のいかにもという大阪弁にも長らく接していないので、しょうがない。

 

著者にとっては、「まどてんか」は「いかにも図々しく阿漕にきかれる(p.33)」という語感のようだ。

「ど」の響きが強いかららしい。

 

これは実際の場面で、音声を聞いてみないと分からない感覚である。

私はこれを読んでいて、はんなりした感じの音声を想定していたので。

 

「どないしてくれるのん!」のビックリマークで、強い怒りを感じるべきだったのか。

「弁償してーやー」より、はるかにきつい感じがするんだろうか。ぜひ、聞いてみたい。

 

また、「じゃらじゃら」についても、はじめて知った。

鍵がじゃらじゃらといった、じゃらじゃらではない。

 

「そんなじゃらじゃらした話がおますかいな(p.34)」

ばかばかしい、ふざけたという意味合いである。

 

『仮名手本忠臣蔵』七段目に<互に見合す顔と顔、それからじゃらつきだして身請の相談>とあるらしい。

著者にとっては、淫猥な語感と感じるようである。

 

これをもって、上方弁には男女の交情を暗示させるような口吻のひびきが多いと感じているようで、情緒纏綿の雰囲気を「じゃらじゃら」で片付けているとしている。私は「いちゃつく」の方が、いやらしさを感じるが。

 

淫靡あるいは下衆な方言は、各方言に備えられていると想像できる。

ただ、こういった語彙は方言暖簾に出ることはなく、学者はまともに調査しないので概要が見えない。

 

語彙は死ぬ語もあれば生まれる語もあるので、今は今でそういう表現が新たに出てきては消えを繰り返す。

知らずに生きる人になんとも思わないが、私はまだそういう好奇心は失せない。

 

うわべの上品さよりは、下衆のほうが人間らしいとまではいわないが、やはり興味は尽きない。

「ずっこんばっこん」から「ズッコンバッ婚」に派生した時は、下衆なセンスにある種の感銘を受けた。

 

 

 

 

「まどう」のアクセントは、HHH。

「まどてんか」は、HHHHH。

 

「どこへやったん」は、HHH HHLL。

「拭いてしもたんちゃう」は、HHHHLLL HH。

「どないしてくれるのん」は、HHH HHHHHLL。

「したんよ」は、HLLL。

 

「じゃらじゃら」は、HLLL。

 

「じゃらつく」は、HHHH。

「いちゃつく」は、HHHH。

 

「ズッコンバッコン」は、LLHH LLHH。

「ズッコンバッ婚」は、LLLLHHLL。

 

 

 

その7につづく。

 

 

 

 

 

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