2020年1月14日 (火)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その10

「で」から「でんわ」「でっせ」(p.49)とあるが、前者は分からないが、後者はつながらない。

少なくとも、後者は「です」なので。

 

「言うといたで」は言えても、「言うといたでっせ」は無理である。

名詞終わりでないのに、でっせは言えないので。だから、単純にはつながらない。

 

「でんわ」は内省できないと前回も書いた。

青空文庫で「でんわ」で検索したら、「電話」が大量にヒットして困った。

 

その中で、谷崎潤一郎『細雪』で2例ヒットした。

「あの話、あかなんでんわ」「あんじょう通じてえへなんでんわ。」

 

前者の「あかなん」は「あかんかった=だめだった」。

「なん」で打消しだが、連体形で「でん」に接続したとしたら、「です」に通じる。

 

あるいは、「だ」の異形態に「ん」がついた形か。

それなら、「で」からと考えられる。

 

後者の「通じてえへなん 」は「てえへなん>てなん」という「エヘ」の脱落前の形。

末尾の「なん」は同じなので、解釈も同じ。

 

直感的には「ですわ」に近いのだが、古くさいという感覚をこえて受け入れられない。

理解表現にもならないというのが私の内省である。

 

「て」から「てん」「てんわ」(p.49)とも記されている。

こちらの「てんわ」も内省がきかない。

 

久生十蘭『金狼』に以下の用例がヒットした。

辛かってんわ」

 

「つらかってん」まではすんなり受け入れられるが、そこに「わ」が足されるとよく分からない。

若干の主張が加わったのか。

 

「てんわ」「でんわ」で、てんやわんやである。

 

 

 

 

「言うといたで」のアクセントは、HHHLLL。

 

「あの話」は、HH HLL。

「あかなんでんわ」は、HHLLLLL。

 

「あんじょう」は、LLHL。

「通じてえへなんでんわ。」は、LLLHLLLLLLL。

「通じてなんで」は、LLLHLLL。

 

「辛かってんわ」は、HHLLLLL。

 

 

 

その11につづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年12月 6日 (金)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その9

「で」というと、カネやんの「やったるでェ」のように、なりふりかなわぬ決意を示し、峻烈なひびきを帯びる。(p.48)

 

たぶん、ここに来てる読者は、カネやんを知らない世代が多いと思うんだが、念のため。

プロ野球400勝投手の金田正一。今年お亡くなりになった。きつい物言いなんで、峻烈という表現が似合う。

 

「それは違うデ」のデと、「お母ァはんにいうといたで」のデはちがう。

「よ」の代りに使う「で」と、断固たる見解を示す押し強い「で」とのちがい。(p.49)

 

これは音調によって、どっちにでも言える。

だから、書きことばの形式だけではうまく伝わらない。

 

断固たる見解であるかどうかは抜きにして、カネやんなら常に峻烈である。

話しことばに人柄が関わっていることは言うまでもない。

 

「で」から「でんわ」「でっせ」(p.49)とあるが、「でっせ」は古くさくて使わない。

「でんわ」に関しては、あまり耳にした記憶がないので、とっさに内省できない。

 

「あれ、悪いけどあかなんでんわ」(p.49)の例があるが、昔の小説を読んでたら出てくるんだろうか。

祖父は大正生まれだったが、「でんわ」はなかった。「でしたわ」と捉えればいいんだろうか。

 

「でっせ」は、80年代後半の吉本のディスコDesse Jennyを思い出す。

さんまさんが、「銭でっせ」を引っくり返して、ネタでつけた命名。

 

バースを「風呂」、クロマティを「黒間茶」、自身の事務所を「オフィス事務所」といったのが当時のさんまさんの流行り。

こういう茶化し方は嫌いではない。

 

 

 

「やったるでェ」のアクセントは、HHHHLL。

 

「それは違うデ」は、HHH HHHL。

「お母ァはんにいうといたで」は、LHLLLL HHHLLL。

 

「あれ、悪いけどあかなんでんわ」は、HH HLLLL HLLLLLL。

 

「デッセジェニー」は、LLLHLL。

「銭でっせ」は、LHLLL。

 

その10につづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年11月14日 (木)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その8

「いくねん」「するねん」「ウチ、まだ知らんねん」「結婚したいねん」(p.48)

「ねん」は意思表明であり、強調であり、確認であり。だから、「なんでやねん」というツッコミが成立する。

 

相手からの返答やあいづちは必ずしも求めていない。

男女共用であることはもちろん、これは今でもさすがに死んでないだろう。

 

「ね」が軽く消失してしまう憾みがある(p.48)というのが、ピンとこなかった。

ンが弱まった言い方の場合ということなんだろうが、「嫌やねン」の時だろうか。

 

これは、世代差ではなく、私が理解できないだけなのかもしれない。

女の言い方でのかわいらしさなら、すっと理解できるんだが。

 

「ねん」の後ろにさらに続いて、「ねんわ」「ねんな」「ねんで」「ねゃ」(p.48)と展開する。

「ねんな」「ねんで」はともに念押しが強く加わる。「ねんで」の方が相手への圧は強い。

 

「ねんわ」は内省してみたんだが、どうもしっくりこない。

「すんねん」「するわ」はともに問題ないが、「すんねんわ」となると、理解レベルでもハテナが飛び交う。

 

ググってみたら、谷崎潤一郎の『卍』で「神経でそんな気イするねんわ 」というのがあったが、彼はネイティブではない。

また、見た目は1150件ヒットだったが、精査すると延べでも50件強。「すんねんわ」でも同程度の値。

 

使う人に違和感がない人はいるんだろうけど、私のように違和感がある人の方が多いと推測した。

「ねん」の意思表明が強めなのに、そこに「わ」という弱めの主張、あるいは詠嘆というのがあわないからかもしれない。

 

「ねんな」「ねんで」「ねゃ」は強いもん同士がくっついたから、さらに強く主張となるから違和感がない。

「ねんわ」については、少し調べる価値がある。

 

「ねゃ」という表記はいい。田辺さんの感性による、時折小文字が入った大阪方言表記は、結構的を射ている。

ただ、私は「すんねゃ」より「すんねや」と「や」が強い。「ねゃ」は古くさいとは言わないが、私は言わないなと。

 

なお、吉本新喜劇のたつじいこと井上竜夫の「おじゃましまんにゃわ」は、やはり「にゃわ」である。

 

 

「いくねん」のアクセントは、HHLL。

「行く」は、HH。

 

「するねん」「すんねん」は、HHLL。

「する」は、HH。

 

「ウチ」は、HL。

「まだ」は、LH

「知らんねん」は、HHHLL。

「まだ知らんねん」は、LL HHHLL。

「知る」は、HH。

 

「結婚したいねん」は、HHHHHLLLL。

「結婚」は、HHHH。

「結婚する」は、HHHHHH。

「結婚したい」は、HHHHHLL。

 

「嫌やねン」は、HHLLL。

「嫌」は、HH。

「嫌や」は、HHL。

 

「すんねゃ」は、HHL。

「すんねや」は、HHLL。

 

「おじゃましまんにゃわ」は、LLL LLL LH。

 

 

その9につづく。

 

 

 

 

 

追記

青空文庫でヒットした「ねんわ」は、以下の4件。

 

袋帯を 止 ( や ) めにせなあかん、袋帯云うもんがあかんねんわ 谷崎潤一郎 細雪
きょうは早う帰らんといかんねんわ 谷崎潤一郎 卍
神経でそんな気イするねんわ 谷崎潤一郎 卍

あなたや咲子さんにご迷惑をかけると思って、つつしんでおりましたねんわ 久生十蘭 猪鹿蝶

 

 

 

 

 

 

2019年11月 7日 (木)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その7

かなりの莫連女でも車内の痴漢に対しては、

「何さらすねん、このオッサン!」と罵るだろう。(p.47)

 

大阪弁の罵詈讒謗として、「さらす」「けつかる」「こます」が挙げられている。

莫連女なら、これらを使っても何の違和感もないので、本来なら「~でも」ではないはず。

 

ここで問題なのは、文末に「ねん」がつくこと。

これが女性らしさと捉えている。だから、「莫連女でも」なのである。

 

男なら、「何さらしけつけるんじゃい、おんどれ!」(p.47)

これが男性らしさのステレオタイプにはしたくないが、あるあるである。

 

女は「わい」「じゃい」が使えない社会の仕組みになっているは、昭和50年代を振り返ってみるとそうだと思う。

ただ、私の世代でも「わい」や「じゃい」は既に古臭さを感じていた。だから、使用表現ではない。

 

この手の言い方は、今はもっと古くさく感じて、若者は言ってないような気がする。

方言形というのは徐々に滅びるものであり、それも世の常人の常。

 

「わいな」が男女共通(p.47)と言われても、私にはこれも古くさい。

白黒のコメディーを見ているような感じである。

 

女房「あんた、まだ飲むのん」

旦那「飲むわいな。なに、もうない? 買うてこんかいや。切らすな、っちゅうねん」

---

女房「あんな男のどこがええねん、いわれたかて惚れたんやさかい、しょうないわいな。ほっといてんか」

女「そこまでイカれとったら、しょうないわな」(pp.46-47)

 

もちろん頭にすんなり入る表現である。聞いてる分には違和感はない。

ただ、旦那の言い方そのものは私は言わない。いかにも古くさい大阪のおっさん臭がするので、それは避けたい。

 

「わな」は「やな」と似ていて客観的な姿勢であり、「わいな」は主観で強い主張を示す。(p.47)

「わな」は使うが、「わいな」は使わぬ。私には強い主張がないようである。

 

尤もお軽が、〽わたしゃ売られてゆくわいな……というときの「わいな」は現代の「わいな」とはちがい、私の祖母のように。

「おいしゅおますわいな」の感嘆助詞だろう。(p.47)

 

お軽とは、かな手本の登場人物。なんやかんやで、勘平に遊里に売られる。

先の歌詞は、上方座敷歌のどんどん節の一節。

 

田辺聖子さんは1928年生まれ。私の祖母となると、明治生まれであることは確実。

その世代のわいなと、昭和1ケタ世代による昭和50年代という現代の用法の違い。

 

通時的考察として重要である。

昭和50年代なんて、私なんぞ小僧っこ扱いでもしょうないわな。

 

 

「何さらすねん」のアクセントは、LL HHHLL。

「このオッサン」は、LL LLHH。

 

「さらす」は、HHH。

「けつかる」は、HLLL。

「こます」は、HHH。

 

「何さらしけつかるんじゃい」は、LL HHHHLLLLLL。

「おんどれ!」は、LLLH。

 

「あんた、まだ飲むのん」は、HLL LH LHLL。

「飲むわいな」は、LHLLL。

「なに、もうない?」は、LH HH LH。

「買うてこんかいや」は、HHHHHHLL。

「切らすなっちゅうねん」は、LLHLLLLLL。

 

「あんな男のどこがええねん」は、HHH HLLL HHH LHLL。

「いわれたかて」は、HLLLLL。

「惚れたんやさかい」は、HLLLLLLL。

「しょうないわいな」は、HHLLLLL。

「ほっといてんか」は、HHHHHHH。

 

「そこまでイカれとったら、しょうないわな」は、LHLL HHHHHLL HHLLLL。

 

 

その8につづく。

2019年10月12日 (土)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その6

「やっぱりいくのんかいな」

「ふん、いくわ」 (p.45)

 

「かいな」「いくわ」に性差がないというのは、今でもそうなんだろうか。

「かいな」は、「そんな古い言い方せんわ」っていう若い世代が増えてきている気がする。

 

「いくわ」の「わ」が、近畿圏以外には女言葉に見えるのだろうか。

第三者的に見れないので、このあたりは感覚としてよく分からない。

 

「嫌やわ」の「わ」とはかなり違って、男も女も普通に言う。

おそらく若い世代も先述のように「わ」を使うだろう。

 

「そんなこと言うたらあかんわ」

「そんなこと言うたらあかんで」(p.46)

 

「あかんわ」は軽く注意してるけど、まあしゃあないわなあって感じ。

「あかんで」はやや強めに注意しており、とりあえずやめとけって感じ。

 

「わい」は「わ」を強めた(p.46)ものだが、先の文で「あかんわい」とは言わない。

だから、この禁止の文脈では、「わい」は使えない。

 

「そないぐだぐだぬかすんなら、もう知らんわい!」(p.46)

 

「知らんわ」「知らんわい」ともに、これ以上相手にする気はないという意味で、両者は程度差である。

この場合に「で」と使うと逆に笑えるぐらい軽い。投げやり気味に相手にしないという程度に落ちる。

 

「わい」の度合いを強めると「じゃい」になる(p.47)とあるが、これはさすがに無理がある。

「じゃい」は「じゃ」「や」を強めたもので、「わい」とは系列が異なる。

 

「*もう知らんじゃい」とはさすがに言えない。

「じゃ」は「だ」の卑罵形なので、罵倒の強めという意味だけで「わい」と同じように語るには無理がある。

 

「なにするんじゃい」がパッと思いつく表現。

理屈上は、「これはペンじゃい」とは言えるけど、私の感覚にはない。

 

私の中で、「じゃい」は既に理解表現で、使用表現ではなくなっている。

「じゃいなんか言わんわ」ていう程度である。

 

 

 

 

「やっぱりいくのんかいな」のアクセントは、LLHL HHLLLLL。

「ふん、いくわ」は、HL HHL。

 

「そんな古い言い方せんわ」は、HHH HLL HHHH HHL。

 

「嫌やわ」は、HLLL。

 

「そんなこと言うたらあかんわ」は、HHH HL HLLL HHHL。

「あかんで」は、HHHL。

 

「そないぐだぐだぬかすんなら」は、HHH HLLL HHHLLL。

「もう知らんわい」は、HH HHHLL。

「知らんわ」は、HHHL。

 

「なにするんじゃい」は、LL HHLLL。

「これはペンじゃい」は、HHH HLLL。

 

「じゃいなんか言わんわ」は、HLLLL HHHL。

 

 

 

その7につづく。

 

2019年9月30日 (月)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その5

「行きはりますか」

「いま、見てはる」

「言わはる通りします」(p.44)

 

「はる」という敬語の接辞は便利である。

「れる」や「いらっしゃる」「ご覧になる」「おっしゃる」より、仰々しさがなく、親しい敬語と言える。

 

若い世代には、廃れつつあるかもしれない。

私の世代でも、少し古いかなとは思っているので。

 

でも、全く使わないわけではない。

一方で使われる世代にはなっているが、私が若い世代から言ってもらえることはないような気がする。

 

 

 

「行きはりますか」のアクセントは、HHHHHHH。

「いま、見てはる」は、LH HHHH。

「言わはる通りします」は、HHHH HLL HHH。

 

「いらっしゃる」は、HHHHH。

「ご覧になる」は、HHHH LH。

「おっしゃる」は、HHHH。

 

 

その6につづく

 

 

 

 

 

2019年9月 4日 (水)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その4

「やな」が男言葉で、「やわ」が女言葉。(p.43)

このあたりは、性差を超えてしまっているような気がする。

 

私の内省では、「やわ」を使う頻度は少ないとは思うが、使っていないとは言い切れない。

女性が「やな」を使っても、違和感はない。

 

「そやな」「そやわ」やったら、私は前者を使う頻度が圧倒的に多いと思える。

「元気そうやな」「元気そうやわ」やったら、差はあるだろうけど両方とも言ってるように思える。

 

「そやな」は確認の意味で使っている。時に相手に返答を促すこともある。

それに対して、「そやわ」は、そういえばそうという感じで、はっと気づいた時に使っている気がする。

 

だから、男女差というよりはモダリティーという話者がどういう心的態度で物を述べているかの違いである。

「そやわ」より「そやな」の方が、当人にとって自信があると思っている。

 

「やな」が、目上や親しくない人には失礼に当る(p.44)というのは素直に首肯できる。

方言むき出しで待遇表現を使うのは、なかなか難しい。

 

「でっせ」「だっせ」「だす」は、田辺さんの世代を境に死語のようだ。(p.44)

当然、私の世代でも使う人はいなかったはずである。

 

冗談めいたしゃべり以外で、聞く機会はほとんどなかった。

吉本が昔作ったディスコ「デッセ・ジェニー」は、さんまさんによる「銭でっせ」を引っくり返した命名だが、「でっせ」がやはり古くさい。

 

「だす」に至っては、芦屋雁之助さんの「わてが雁之助だす」ぐらいしか出てこない。

「だす+ねん>だんねん」による「わてが雁之助だんねん」は、太平シローさんのモノマネの方が記憶にこびりついている。

 

 

 

「そやな」のアクセントは、HL↑。(語末をイントネーションで少し強調する)

「そやわ」は、HLL。

 

「元気そうやな」は、HHHHLL↑。(語末をイントネーションで少し強調する)

「元気そうやわ」は、HHHHLLL。

 

「わて」は、LH。

「わてが」は、LLH。

 

「銭」は、LH。

「銭でっせ」は、LLHLL。

「デッセジェニー」は、LLLHLL。

 

「雁之助」は、LLLLH。

「雁之助だす」は、LLLLLLH。

「雁之助だんねん」は、LLLLLLHLL・

 

 

その5につづく。

 

 

 

 

 

2019年8月25日 (日)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その3

「お医者さんはもうアカン、言わはったんやそうやけど、何や知らん間ァに持ち直したんや」(p.42)

 

接続助詞やら間投助詞やら終助詞やら。

大阪弁では、確かに「や」をよく使う。

 

「だ」と同様に「や」の後にもさらに終助詞はつく。

「やんか」「やわ」「やな」、「やろ」「やろな」(pp.42-43)などなど。

 

「やんか」はやや品下れる言いざまであるが、威勢がよい女言葉である。(p.43)

「誰がそんなこというてん」

「あの子やんか!」(p.43)

 

男も使ってる気はするけど、どっちかといえば女言葉やなと今さらながら。

「あの子ではないか」でも「あの子じゃないか」でも、しっくりこない、共通語に訳しにくい表現である。

 

子どものころに何か咎め立てされると、

「知らんやんかいさ! ウチ!」

などと言い返し、何と下品なと母にチメチメされるたぐいの言葉であったのだ。(p.43)

 

こうなると、女の子っぽい。なんか愛嬌がある。

「私、知らないから」では、この愛嬌は出てこない。

 

「やんけ」やと男になるけど、河内っぽい。

ミス花子は名前でだまされるが男なので、河内のオッサンの唄はしっくりくる。

 

 

 

「お医者さん」のアクセントは、LLLLH~LLLHH。

「お医者さんは」は、LLLLLH。

 

「もうアカン」は、HH HHH。

 

「言わはった」は、HHHHL。

「言わはったん」は、HHHHLL。

「言わはったんや」は、HHHHLLL。

 

「そうやけど」は、HLLLL。

 

「なんや」は、LHL。

「知らん」は、HHH。

「知らん間ァ」は、HHH HH。

「知らん間ァに」は、HHH HHH。

 

「持ち直した」は、LLHLLL。

「持ち直したんや」は、LLHLLLLL。

 

「誰が」は、HHH。

「そんなこと」は、HHH HL。

「いうてん」は、HHLL。

 

「あの子」は、HH H

「あの子やんか」は、HHHLLL。

 

「知らんやんかいさ」は、HHHLLLLL。

「ウチ」は、LH。

 

 

その4につづく。

 

 

 

 

 

 

 

2019年8月 4日 (日)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その2

かつて大阪弁が嫌われ、大阪でもそこから抜け出そうとしていた人たちがいた。

大阪偏重主義があれば、大阪脱却主義があってもおかしくない。

 

祖父母や父などはそんなことに関係なく「そうでっか」「知りまへん」などとやっていたが、私の母は岡山から大阪へ嫁に来た者で、かつ小学校の先生の経験もあったから、若いインテリ(と自負している)心に、標準語を上等のように思ったのであろう、子供の私が、「そうやしィ」「あかんしィ」などというと、下品な言葉を使う、と叱られた。(pp.40-41)

 

小学校の先生が規範的なのは仕方がない。

いわゆる正しい日本語を教えなければならないので、過剰な意識を持っている。

 

ただ、岡山という地域性を考えると、まったくもって方言むき出しの地域である。

私は望ましい姿だと思っている。そして、下品と言われる筋合いはない。

 

岡山を叩いているわけではない。岡山には4年住んだので。

地元民が岡山弁を汚いということがあったが、ことばにきれいも汚いもない。

 

そこにあるのは、人間の美醜だけである。

もちろん顔の話ではない。

 

父の若い弟妹、私の叔父叔母たちも精いっぱい、東京風のコトバを使おうと気取っていたが、どうやっても追っ払えないのが語尾変化であった。もちろんアクセントやイントネーションはよけい変えにくいが、大阪弁の語尾を東京風にするというのは、むつかしい以上に、首をくくりたくなるような恥ずかしさがある。お芝居のセリフをしゃべらされているようになり、言葉の生命力が失われてしまう。(p.41)

 

首をくくりたくなるような恥ずかしさというのは、秀逸なたとえだと思う。

言葉の生命力という表現よりも、腹の底から嫌いなんじゃという思いが伝わってくる。

 

虫唾が走るほど、嫌っていない。むずがゆくなるほど、生理的に受け付けないわけでもない。

ただただ、そんな気取ったコトバを使うのはこっぱずかしいという、正直な感想であると推察する。

 

京阪アクセント圏出身者が、俳優やアイドルになった時には、共通語に矯正され、二方言話者となる。

大阪弁むき出しのままでは、映画でもドラマでも使いにくいからであろう。

 

また、東京に出れば、周りのほとんどが共通語でしゃべっているので、耳から学ぶことができる。

大阪でテレビやラジオで聞くだけでは、なかなかうまくいくものではない。

 

私みたいにほぼ合わせる気がないものにとっては、話し言葉としての共通語は無用の産物である。

もちろん、使用語彙としての話で、理解語彙としては共通語は役に立つ。

 

だから、理解はしても使う気はない。

それでも、東京ではよそいきの大阪弁をしゃべっているので、そこそこあわせようとはしている。

 

祖父がついに、「じゃらじゃらした快っ態(けったい)なコトバ使うもんやない!」と一喝してわが家の言語近代化運動、方言矯正運動は立ち消えになってしまった。(p.41)[注]

 

私は寺内貫太郎一家は嫌いだったが、こういう内容なら祖父の一喝は、むしろ望ましい。

これがハラスメントになるようでは、あまりに世の中世知辛い。

 

 

「そうでっか」のアクセントは、HHHHH。

「知りまへん」は、HHHHH。

 

「そうやしィ」は、HLL+R。

「あかんしィ」は、HHH+R。

 

「じゃらじゃらした」は、HLLLLL(~HLLL+HL)

「けったいな」は、HHLLL。

「コトバ」は、HLL。

「使う」は、HHH。

「使うもんやない」は、HHHHLL LH。

 

 

 

その3につづく

 

 

 

 

 

[注]

「けったい」は、規範的な日本語だと「卦体(けたい)」の促音化として、この漢字が当てられる。

語源の真偽はさておき、それはそれで。

 

ただ、田辺さんの意図としては、「快っ態」の方が実態に近いと捉えている。

私も素直に首肯できる。まあ、公文書で「けったいな」は使われることはないので、むしろ「快っ態」を広めたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年7月28日 (日)

『大阪弁おもしろ草子』「そやないかいな」を読んで その1

そやないかいな ―語尾と助詞 pp.40-56

 

明治政府が唱導強制した標準語・共通語はいち早く上方にも広まって、私などが小学生のころ(昭和10年代はじめ)は、もう大阪弁を使うのは品がわるく無学なあかしのように思う気風が、大阪の若いインテリの間にあったように思う。(p.40)

 

戦前・戦中かけての昭和10年代以前に生まれた東京人は、かなり大阪弁が嫌いだったように思える。

東京に住み始めて、赤ちょうちんでその年代からは大阪弁は嫌いだとよく言われた。

 

なじみになれば、お前はいいけどとなる。

自身と違うものへの生理的に合わない感か、食わず嫌いなのか。

 

同年代の関東出身者に話すと、この話は理解できない人が多い。

昭和40年代以降は、漫才ブームのおかげというかなんというか、大阪弁への抵抗が薄れていたからである。

 

そして、20~30代の頃から、自身の家族や親族以外の老年層と話す機会は少ない。

当時定年に近い上司ともその手の雑談まではあまりしないだろう。

 

団塊の世代は、徹底的に嫌いというのが減ってきていたと思われる。

それでも、必ずしも好かれているわけではない。

 

今でも全面的に好意的に受け入れられているとは思わない。

だいぶ前に、私より若干下の世代が、そば屋で大阪弁の悪口を死ぬほど行っていたので。

 

近所のそば屋だとさすがにそういうことはないが、オフィス街だったので立派な会社員なんだろう。

まあ、好みの発言は、私的空間では好きにやってくれればいいので。

 

そして、そういう店に大阪出身者がいるとも予測していなかったのだろう。

大阪人はそば食わずに、うどん食っとけというステレオタイプが、まだ生きているのか。

 

黙って聞いていても良かったのだが、注文前だったので、店員さんを呼ばざるを得ない。

「すんませーーん」 すぐに黙ったのは言うまでもない。

 

 

 

「すんません」のアクセントは、LLLLH。

「すんませーん」は、LLLHHH。語末の長音での語尾上がりは、音節単位で高になる。

 

 

 

その2につづく

 

 

 

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